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もっと軽く考えよう

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伊集院光さんのラジオが好きでよく聞いています。外国に行くと日本語がとても恋しくなるので、余計伊集院さんのラジオをより聞くようになりました。 夜のラジオは大きく分けて、今週あった出来事とコーナーの2つがあります。今週あった出来事の話が面白いです。駅のスタンプラリーとか、観音巡りとか、ゲームの話とか。 伊集院さんの話を聞いて、「もっと簡単に考えてやってみればいいんだ」と思うようになりました。 僕は以前本を集めるのが趣味で、ブックオフで100円の本をよく買ってました。大学を卒業し、引っ越ししなくてはならなかったのですが金がなく、本を運ぶお金がなかったので泣く泣くブックオフに売りました。結構たくさん売ったのに、1000円もならなくて、こんな価値のないものを僕は集めてたのかとがっかりしました。 その時からいきなり「物を持たない人間」になり、何かを買うときも「本当に一生使うのだろうか」とか、何かをやるときも「本当にこれは僕の人生にとって有益なのだろうか」とか、ものすごい高いハードルを課していくようになりました。結局何もしない人間になり、ただのつまらない人間になりました。 伊集院さんの話を聞くと、結構いろんな趣味があって楽しいです。しかも突然ある話をしなくなったりすので、飽きてしまうことも多いんだとわかりました。 趣味も仕事も、そして人生もそういうもんだなと最近思うようになりました。仕事だって今楽しければいいし、趣味だって100万円使っても飽きたらやめればいい。人生だって先のことはわからないから今やりたいことをすればいいのだと思うようになりました。 ランキング参加中です よかったら押してくださいね。 ↓↓ にほんブログ村

ストックホルムは東京よりコスパ良いんじゃないか

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Vaxholmというのはストックホルムからバスで45分の場所。SLカードの範囲内なので、余分のお金を払わずに行ける。 ストックホルムの中心からわずかバスで45分なのに、大変のどかで庭付き一軒家がある地域。都会か田舎かで言えば間違いなく田舎。 こういう都会に通勤圏内な田舎って、日本には無い気がする。東京だと仕事場から片道2時間のところに住んでも、埼玉・神奈川・千葉とか特徴の無いところだし。僕の考えだと、やっぱり子供は田舎で育てたいなぁと思う。どうせ働くときには都会に行くんだし。 だからこのVaxholmという場所は僕が考える、住むのに理想の場所だなと思った。ストックホルムは買えないものが無いほど都会だし、そこから一時間程度で行けるVaxholmは海 もあるしのどかだし。 北欧は物価が高いのは事実だけど、実際に住んだ感じだと、そこまでお金使わない。 今僕はお金ないけど、それは東京にいたときもお金なかったし。全く贅沢しないのに一体僕のお金どこいっとんねん。 元へ。 ストックホルムは、無料の博物館もいっぱいあるし、月1万円ぐらい払えば公共の交通機関は乗り放題だし。自炊を主にすれば東京よりも安い気がする。 しかも国内旅行の感覚でヨーロッパに旅行いけるし。 ということで、ストックホルムは東京に住むよりもよっぽど人生の質というかコスパが高いんじゃないかと思ってきた。ストックホルムじゃなくても、東京ほど人口密度が高いところはあまりないので、東京よりも通勤が短くてのどかで家が大きいところに住める場所っていっぱいあるんじゃないかと思う。 だからといって、海外にすぐ住めるわけじゃない。実際に海外に住んでみて、国境という見えない壁は想像以上に高いなと思った。でも、そこを超えるのはほぼ誰でもできるので、日本じゃなくて海外に住むって言う考えをもっと積極的に考えてもいいんじゃないかなと、Vaxholmに行って思った。 こういうのを、人生観変わったっていうのかな。 ランキング参加中です よかったら押してくださいね。 ↓↓ にほんブログ村

ボンクラでも役に立ちたいと思っている

今週はつらい週だった。先週の金曜日にこっちのボスと話し、研究の方向性を確かめたうえで、足りないものを注文した。その注文したものが届かないので、何もすることがなかった。 ものが届かなくても、他のことをすればいいのかもしれないが、僕はまだ何をやっていいかわからない。何か手伝うことがあればやりたいと思ったが、あいにくそんなのはなかった。基本的に研究活動は個人プレイなので、手伝ってもらうこともないようだ。 なんかこうやることがなくて机に座っていると、自分はこの世に必要ないんじゃないかって思えてくる。いや、活動したところで必要ない存在なのかもしれないが、少なくとも忙しければそういうことも考える暇もなくなる。 必要なくても給料がもらえていればいいじゃないかと思うかもしれない。でも実際は役に立っていないという気持ちは非常につらいものがある。 僕は以前警備員として働いていた。電話線の工事の車に乗って、工事の人と二人で現場に行く。工事の人は電線の工事、僕は乗ってきた車の見張りだった。車と言っても軽ワゴンなので、路肩に止めれば警備の必要もない。しかも多くは住宅街が現場なのでそもそも車がほとんど通らない。僕はほとんどの場合、車の脇で待っているだけだった。特にひどかったのは、車を止める場所がなくてコインパーキングに止めた時だった。その時はどう考えても警備をする必要がないので、車の中で待っていた。その時に、僕は世界で最も役に立ってない人間だと思った。 あれから博士号も取り、一応今は海外で働いているが、役に立ってないことは変わりないようだ。なんとかして役に立つ人間になりたいなぁ。世界中から嫌われてもやるべきことをやるトランプ大統領みたいになりたいなぁ。

僕はちゃんとやるべきことをやった

「今年は飛躍の年です。」とかfacebookにドヤ顔で書いていたタヌキ共、もう新年の目標忘れてんだろ。ベッドに寝っ転がってないで飛んでいけよ。どうせ今年の終わりには「今年は忍耐の年でした。」とかって言って締めくくるんだよ。恥ずかしいよ、何もしなかったことを”忍耐”という言葉で美化させて。 お前らとは違って俺はちゃんと2017年、目標に向かって一歩ずつ歩いてますよ。ちなみに今年の目標は「ジムに行くこと」。まず僕は家の近くのジムをGoogle mapで確認したよ。それだけでfacebookでドヤ顔垂らしているやつより10歩ぐらい前進んでるんだよね。 そしてちゃんとそのジムに行ったんだよ。値段を聞きにね。お前らなら異国の店なんか一歩も入れないだろ。それだけじゃない、必要なものも聞いたんだ。室内履きが必要だと言われたよ。当然だよね。僕はまだ室内履きなんて持ってないから買わないといけないけど、室内履きを買うっていうのはとても大変なんだよ。facebookでドヤ顔するのとは訳が違うんだ。毎週買いに行こうと決心するけどどうしても急用ができるんだよ。情勢は日々変化してるからね。 でもさ、靴なんか買わなくてももう目標は達成してるんだよね。目標は「ジムに行くこと」なんだから。運動するとは誰も言ってないよ。僕ぐらいになると、目標ってのは通過点ぐらいにしか考えてないから、いつの間にか目標をすぎてるってことは珍しいことじゃないんだ。fa顔のやつとは違うんだよね。 だから、室内履きなんかどうでも良くなってきたんだよ。僕の頭はもう次のことを考えてるんだ。f顔のやつの一年は、僕にとったら10日ぐらいに感じるね。もうジムのことはいいや。 よかったら押してね!

あー金持ちになりたーい

僕はお金もないのに博士課程まで行ったせいで、奨学金の他にある人からお金を借りていた。そのお金を、ようやく先日全部返すことができた。と同時に僕の貯金はほぼ0になった。 未だ奨学金は続いているから、まだまだマイナスである。 しかし、何でこんなお金ないんだろう。僕は大学の時から4人部屋の寮に住み、そのあともシェアハウスや4畳半の超狭アパートとかに住んでいた。スウェーデンに来た時も、航空券は6万円のとても安い航空券だったし。何をやるにも値段が第一で、新幹線なんかほぼ乗らず深夜バスと青春18切符ばっかり使ってるし。 一方僕の同級生は、彼女を作り、膨大な無駄と思える結婚式を挙げ、これまた旅行会社のボッタクリとも言えるハネムーンに行き、家を買い、子供を作る。僕だってみんなと同じように真面目に生きてきたつもりなんだけど、何でこんなに差が開いたんだろう。 一体いつになったらお金の心配せずに暮らせるのだろう。金持ちになりたいなぁ。

より未知な方へ進む

2017年の目標を決定した。今思いつきで。 より未知な方へ進む すべての選択で、これまでやっていない方を選ぼうと思う。カルボナーラかミートソースならばカルボナーラを食べよう。寝るか運動するなら運動するを選ぼう。やるかやらないかならやる方を選ぼう。 これまでは、「大きな目的を設定し、それに向かって進む」ことが正しいと思っていた。その精神なら、同じことをやるのは理にかなっている。しかし、最近どうしても生活が楽しくないと思ってきた。マンネリによる退屈と不安。それを払拭するには、常に変化しておかなければならないなと思うようになった。 環境は常に変化する。誰も2015年の大晦日にはSMAPが解散するともトランプが大統領になるとも思わなかったわけだし。だから、人生の目的のようなものを設定したところでどうにもならないなと。 さぁ2017年だ。孤独に負けないようにしよう。

一年で最も孤独を感じるとき

一年で最も孤独を感じるのがこの時期である。ほとんどの人が休みに入り、実家に帰る。もしくは実家に帰らない友人たちとダラダラ過ごす。 僕はここ数年、そのどちらもしていない。ただ1人で孤独に部屋にいるだけ。 実家に帰らない理由は、そもそも実家がないからである。僕が子供の頃に住んでいた家族は僕が大学生を卒業するまでに全員他界した。僕には生まれ故郷は有るが、そこには実家がない。 年末になると「実家に帰るの?」とよく聞かれる。僕にはその言葉はとても辛い言葉である。帰らないというと、決まって「お父さん、お母さん心配するよ。」と言われる。その言葉は更に辛い。本人は善ぶって言ってるのかもしれないが、僕にとってはハラスメント以外の何物でもない。 日本の正月、そして欧米のクリスマス。「家族で過ごすもの」という風習は、特定の人を傷つけるものである。セクハラ・パワハラ・モラハラと色々騒いでるんだから、こういう風習も早くハラスメント認定されないかな。 僕は現在スウェーデンの首都、ストックホルムにいる。休日に会うような友人は誰もいない。当然、クリスマスも大晦日も1人。普段と何も変わらない一日である。 今年も去年も孤独に生きた。きっと来年も孤独に生きることだろう。 よかったら押してね!

結婚した友達に捧げる言葉

これから書くことは、偏見と嫉妬に満ちた愚痴であり、特に既婚者の方にとっては不快に思うかもしれませんので、読み飛ばしてもらって構いません。 結婚した友達へ。 結婚おめでとう・・・と言うとでも思いましたか? 僕は決して、結婚した人を祝うことはしません。 なぜなら、結婚した人はその時点で幸せであるのだから、祝う必要はないと思っているからです。ましてやこっちは結婚していないのだから、むしろ不幸な未婚者であるこっちを祝ってトントンになるのではないかと思っています。 結婚して、妻と一緒に写ってる写真をfacebookにあげても、僕は絶対に「いいね!」は押しません。なぜなら、別に貴方が結婚しても僕にとっては何もいいことはないですし、他人の人妻の写真を見せられても僕は何もよくありません。そんな暇があれば未婚者の美女の写真でもあげてください。 間違えても、生まれた子供の写真を見せないでください。僕はこのブログでも散々言ってますが、他人の子供は可愛いとはちっとも思いません。僕は貴方と友達なのであって、貴方の子供とは友達ではありません。貴方の子供の写真より玉ねぎの写真のほうが楽しいです。 急に住所を教えてと言いましたよね。年賀状を送ろうとしていることはわかっています。その年賀状の後ろには、貴方と妻が映った写真が載ることもかんたんに予想できます。そんなくだらない年賀状、全く欲しくないので住所教えません。 結婚式って僕が思っているよりお金がかかるのですね。冠婚葬祭ならいくらでもお金を払う日本人の心理を利用して、費用対効果の少ないものにお金を払うなんて馬鹿じゃないですか?別に僕がお金を払うわけではないのでご勝手にされればいいんですが。 家も買われるんですか?つまり今勤めている会社にずっといるつもりなんですね。あなたはいつも「◯◯からスカウトが来た」とか言ってますが、会社を動く気はサラサラないようですね。あなたはその会社のために貴方の人生を捧げる覚悟があるかもしれませんが、会社はあなたのことなんか、これっぽっちも感謝しませんのでそのことは頭に入れといてくださいね。 貴方は僕よりもお金を持っているようで、大変羨ましいです。日本は平凡に生きたものがお金が貯まる仕組みですので、貴方がお金を持っているということは、社会の歯車として、自我を殺して生きてきた結果だと思

人生は無常である

昨日、僕の前職の株式会社ブラックで部長だった山田から連絡があったと書きました。そのメールで、課長のあーちゃんがやめたということを知りました。 これで、社長のトシを除き、初期メンバーはみんなやめたことになります。 山田のメールにはあーちゃんもCCで入っており、その後はみんなで近況報告をしました。 山田は、スカウトで特許関係の仕事につき、 あーちゃんは得意の英語を活かし、外資系の製薬会社で働いているそうです。 僕はもちろんストックホルムで研究員。 こうやって書くと、英語のハッピーエンドみたいな感じですね。ただ、少なくとも僕の場合、失うものも大きいので、ある視点からみると必ずしもハッピーとは言えません。 ただ、人生は予測不可能であるということだけはいえます。 2015年の12月に、2016年の12月にはストックホルムにいるなんてまったく想像なんて出来ませんでした。僕は5年ほど前に青年海外協力隊に参加し、病気で任期短縮しましたがその時も、いきなり病気だと宣告され、一週間後には日本に帰国し、その一週間後には、終了を宣言されました。まさかその2週間前には、自分が日本にいるなんて想像もできませんでした。 個人だけでなく社会もそうです。SMAPが解散するなんて去年の今頃は誰も想像できなかったし、トランプが本当に大統領に為るなんて誰も言ってませんでした。その証拠に三浦瑠麗さんが2015年の文藝春秋で大統領選のことを書いてますが、トランプのトの字も出ていません。2011年3月10日には、まさか次の日に巨大な津波が来るとは誰も思ってませんでした。 だから、将来のことをほんとうに真剣に考えるのはあまり意味がないような気がします。将来のことを考えすぎて、結局今何も出来ないほうがよっぽど害です。今一生懸命生きれば、いつの間にかいいところにたどり着いているかもしれません。なので、気軽に考えて今やりたいことを一生懸命やりましょう。 よかったら押してね!

早く独立して研究したい

僕は、研究機関のあるプロジェクトを任されてスウェーデンにやってきた。そこには今までそのプロジェクトに関わっている人がいて、僕はいまその人に付きっきりで実験方法などを教わっている。 その人の説明がへたくそでイライラする。もちろん英語力がない僕も悪いのだが、1を聞くと10ぐらい跳ね返ってしゃべってくる。しかもよく聞いてみると、そのうちの9.5ぐらいは関係のないことで、結局一番聞きたいことは話してないことが多い。 英語圏の人は、プレゼンがうまいとかそういう固定観念があるけど、まったくそんなことない。説明のうまい人は、どこの人でも説明がうまい。説明の下手な人は、とにかくしゃべる。「すべてをチェックしたわけではないけど、本当にそうは言えるかもしれないけど僕はそう思ったりする」とか、クソ回りくどい言い方をする。 かといって、今の僕はそのカウンターパートがいないと、結局何もできない。その人は優しいけど、もし怒らせたらプロジェクトも前に進めないし。とにかく今は耐え、早く実験を覚えて、独立して研究したいよ。

国籍とかいう既得権

僕が海外に来て最大の懸念だったビザ。ネットを見てみると、ビザでヒヤヒヤしている人が結構多いことに気づいた。 三ヶ月以上外国で働くためには当然労働ビザが必要。ビザというのは会社マターではなく国マターなので、就職の内定が出たからといってビザが下りるとは限らない。ビザが下りなければ、失職になるので本人にとっては相当なダメージになる。 これが気になって僕はビザの承認が下りるまでは本当に寝れないぐらい心配だった。 周りの同僚にビザのことを聞いたら、驚くべきことを知った。EUに加盟している国はEU内で働くときにはビザが必要ないらしいのだ。僕はこの時正直に「ヨーロッパに生まれてきやがってこのやろう!」と思った。 ただよく考えると、日本国籍も世界からみると相当な強権力。隣の国の中国だったらどこに行くにもビザが必要なのに、日本国籍だとほとんどの国はビザなしで旅行ができる。 僕は数年前に青年海外協力隊でタンザニアに行ったけど、それは僕がただ日本にたまたま生まれたから支援する側になっただけで、能力があったわけでもなんでもない。シリアの難民も、難民自体は何も悪くはない。 生まれる場所は選べないのだから、それによって人生が左右されてはならないというのが僕の考え。でも実際は違う。日本に生まれたら、その人がたとえ極悪人だとしても自動的に日本という会員制クラブに入れる。本当は、「日本語検定3級以上で、税金を月に3万円払える人は誰でも日本に住める」としたほうが公正だと思う。ただ実際はそうではない。 そんなこと言ってもこんなポンコツの僕にはどうしようもできないけど、僕は今日本国籍を持っているというのは事実なので、その権力はフル活用しなければ損だとは思っている。そして、これは綺麗事かもしれないけど日本国籍という強力な既得権益を持っている以上、権力を持っていない人たちよりも苦労をして、そういう人たちを支援したいと思っている。でもなかなかできないんだよなぁ。

仕事で本名を使う必要はないんじゃないか

初対面の人に、「まささんって○○なんですね!」って言われたことがある。その人は参加者全員をネットで検索したらしくって、僕があることでネットに載っているのを見たらしい。 別に悪いことじゃないのでいいんだけど、なんかちょっと気持ち悪い。というのは、場所や立場が変われば、見せたい自分っていうのは変わるわけで、違う分野にいるときの自分はなるべく見せたくない。 とある本に、「分人」という考え方が書かれていた。1人の人間は分けることのできない個人(Individual)ではなく、幾つかの分人(Dividual)の集まりだと。僕はそう思う。 例えば、仕事の中の自分と、家庭にいる自分と、渋谷のキャバクラにいるときの自分は全く違うだろう。だから、Facebookに一人でも職場の人間と友達になると休日に遊びに行ったこととか急に書きづらくなる。 だから、仕事ではわざわざ本名を使う必要はないんじゃないかなって思う。今の世の中、メールに名前が載ってると、検索してみたくなるという人は結構いるわけだし。 今の社会は、メールアドレスがそういう意図で使われている。会社に入ると、職場のメールを作らされ、会社を出るとメールアドレスは使えない。メールアドレスは「職場にいるときのAさん」という考えで作られている。だから、それと同じように、職場ごとの名前っていうのがあってもいいんじゃないか。 このブログも、本来は実名でやろうと思っているのだが、ブログを書いている自分っていうのは、僕の分人の中の一つで、職場にいる自分とは違うものだ!と思うと、なかなか実名ではかけないでいる。

理想と現実を行き来する

トランプが時期大統領に受かったのは、政府の綺麗事に国民が辟易した結果だとみんな言っています。 しかし、8年前は空前のオバマブームでした。パチンコ屋ですら、オバマの写真を使って「Yes we can!」とか広告を作ってたぐらいですから。実際にあの時はすごかった。僕は高校まで、アメリカの大統領はWASPしかなれないと教わったため、初めての非白人が大統領になったときはベルリンの壁崩壊レベルのことだと思いました。挙句にスマートな体で迫力のある演説をし、核廃絶を訴えノーベル平和賞をもらうなんてまさに映画のような出来事でした。 でもあの時理想を求めていたアメリカは、8年後にはあっけなく「綺麗事では飯は食えない!」みたいなことをいい出した。オバマもアメリカっぽいし、トランプもアメリカっぽいけど、これはよく考えると人類はすべてそういうもんなんでしょう。 そもそも、理想と現実っていうのはお互いに正しいのだけどそれが故に、相容れないものなのかもしれない。 世界の宗教は大きく一神教と多神教に分かれるけど、一神教は理想的、多神教は現実的な考え、といえます。 例えば、ブッダの毒矢の例えにこういうのがあります。 例えば、ある人が毒矢に射られたとしよう。その人の友人や家族は医者に見せて早く矢を抜き取ろうとする。しかしその本人が『矢を射た人はどんな身分か、何という名前か、どういう苗字か、背が高いか低いか中くらいか、肌は何色か、どこに住んでいるのか、それが分からないうちは矢を抜くな』と言ったらどうなるか。その人はそれを知らないうちに死んでしまうだろう。君が言っているのもそれと同じことだ。その答えを知る前に人は死んでしまう。 コレを見ても分かるように、仏教は非常に現実的です。「右の頬をぶたれたら左の頬を出しなさい」なんて言ってるキリスト教徒は違います。 宗教だけでなく、仕事でも「理想より」と「現実より」な仕事があります。 例えば、僕が今就いている研究の仕事はかなり理想よりです。宇宙からの電磁波を数億円かけて測ったところで、人間を助けられるわけではありません。僕もしょっちゅう仕事のことを友人に話す度に「それなんの役に立つの?」って言われます。実際僕も、「こんなことせずに、カフェでコーヒーだしてお金もらうほうがよっぽど世間のためだ!」と思います。 しかし、

イギリス語が「国際語」となっていることに他のEUの人はどう思ってるんだろう

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スウェーデンのサイトでも、僕みたいな外国人が見そうなサイトはほぼ英語のページが用意されています。でも、そのことでちょっと気になったことがあります。 以下のサイトは、スウェーデンの代表的なファストフード店、MAXのページです。 小さくて申し訳ありませんが、言語選択のところにイギリスの国旗があって横に「International」と書かれてあるんです。「English」ではなく「International」と書かれてあることにちょっと違和感があるんです。 イギリス語を国際語とされていることに関して、イギリスの人やその他のヨーロッパの人はどう感じてるんでしょう。許せないと思ってるのかなんとも思ってないのか。 歴史の本で見たんですが、今の社会はアメリカ、中国、ロシア、EUの4帝国が支配していると書かれてました。帝国というのは国よりも一個階層が大きい括りです。EU以外は一つの国ですが、大きさも統一感からしても、幾つかの国と言ったほうがいいと思います。 帝国の内と外を分けるのに、言語は非常に有効です。広い地域で言語を統一するためには、はすべての地域で統一した教育をしっかりしないといけないので非常にコストが大きいですが、それでもやるのは敵と味方をしっかりと作るためです。 現在のEUの共通言語はイギリス語であることには異論はないと思います。しかしイギリスはEUから脱退する予定です。帝国の外の国の言語が使われるというのはおかしな話です。 今の現状から言えば、EUの言語はドイツ語になるべきでしょうが、そうするためにはまた膨大な時間もお金もかかり、英語を捨てて強いアメリカと対立するようなことはしないでしょう。しかし、イギリスが「国際語」とされていることに、少なくとも違和感を感じているのかどうかは気になります。スウェーデンは力が弱いですが、ドイツやフランスはどう思ってるんでしょう。 僕も職場の人に聞いてみたいですが、僕の語学力ではとても説明できないし、ちょっとデリケートな内容なので何も言えません。

なんでおっさんって終身雇用が当たり前と思ってるの?

続けて、元の職場のおっさんに対する愚痴。なんか急に過去に言われた発言が気になってここで愚痴を書いてすっきりさせようと思ってます。 スウェーデンに来る前に、元の職場のおっさんに「スウェーデンでその仕事をずっと続けていくつもりなの?」と言われた。 僕は前の記事に書いた時よりも一層「は??」と思った。もし僕が女子高生だったら間違いなく「マジありえないんだけど?」って言ってたな。 研究者は基本的に終身雇用ではない。だいたい2,3年が任期で、大学教授だって5年が任期だ。 もし、そうでなかったとしても、僕は同じ場所で同じ職場にいるなんて、そんな退屈な人生送りたくない。せっかく地球にはいろんな場所や仕事があるんだから、できるだけたくさん経験したいし。それに場所を移るっていうのは相当なエネルギーがかかるけど、その分だけ自分が成長していると確信している。 きっとそのおっさんは、とにかく安定だけを目指して生きてきたんだろうな。つまらない人生だ。 すいません、ここで愚痴をやめます。

おっさんに言われた「君の選択はベストか?」の意味

スウェーデンに来る前に、元の職場のおっさんが「君のやりたいことをやるのに、スウェーデンがベストなの?」って聞かれた。僕は正直「は?」と思った。 ベストかどうかと言われると、ベストではないと思う。僕にとってもっといい環境は他にもたくさんあった。でも、仕事をするには誰かに雇ってもらわないといけないのだから、自分がやりたいことがあっても、雇ってもらえなければできない。僕はどうしてもスウェーデンに来たくてたまらなかったわけではなく、たくさん履歴書を出して、受かったところがスウェーデンだったというだけだ。 ただし、"僕が選ぶことが出来る選択肢"の中ではスウェーデンがベストだったと思う。あの時の僕の選択肢は、スウェーデンに行くか、東京の株式会社ブラックに留まるかだ。あのまま株式会社ブラックにいるなんて、考えるとおぞましいし、どっか海外で暮らしたいと思っていた。その際には人とモノが集まる都会がいいと思っていたので、ストックホルムに就職できたのは良かった。 元の職場のおっさんは一体どういう意味で「スウェーデンがベストか?」と聞いたのだろうか。もし「世界中のすべての職場の中でスウェーデンの職場がベストか?」と聞いたのであれば、あのおっさんはすべての事柄が自分の思い通りにいく超権力者か、自分のやりたいことに挑戦したことのない人間だろうな。

やっと心のトゲが取れました

スウェーデンに来たときから不安要素だったものがあり、もはや僕は生きる必要もないんじゃないかと思ってました。その時の記事はこちらです。 死んだっていいのだ。だから落ち込まないようにしよう 致命傷に為るかならないか、分からない状態だったのでまるで指に入ったトゲ(山口とかではすいばりという)のような存在でしたが、その不安要素がついに消えました。 不安要素については、今日の夜に記事書きます。

なぜ研究者は現状維持思考なのか

先週の大統領選挙、もちろん僕の職場でも大きな話題になっていた。僕の職場はほとんどが研究者、アメリカ人も何人かいるが、そのすべてがヒラリー支持だった。 今年の前半であったイギリスのEU離脱も、研究者のほとんどは残留派だったという報道がある。どうやら、研究者と全国民の間には、バイアスがあるらしい。研究者というのは職業柄 変化することを好みそうだがなぜ現状維持派が多かったのだろう。 その理由の一つは、研究者は世間から離れたところで生活をしているというのがあるだろう。研究者というのは基本的に世間の役に立たないようなことばかりをしている。「100光年先の銀河を見つける」とか「蛇が足がなくなった理由を調べる」とか。だから、わからないことは自然と現状維持になるので、ヒラリー派、EU残留派多かったのだと思っている。 もう一つの理由は、研究者が裕福な家庭の出身が多いというのがあるだろう。トランプ勝利、EU離脱の共通点は、「既得権益者による政治からの打破」だった。つまり、今権力を持っている人に有利なように政治をする。研究者というのは、教育に膨大な金がかかり、なおかつ医者のように回収もできない。だから、親が金持ちな人が多い。つまり既得権益者側な人が多い。 ちなみに僕は、既得権益とは無縁でそのために苦しめられたことがある。実際に僕は高校から奨学金を借りているのでその借金がめちゃくちゃ重くのしかかっている。だから、既得権益者とか金持ちには、嫉妬もある。今回の大統領選挙とかイギリスの国民投票とかとにかくのさばっているやつを懲らしめるのは賛成。

弱い自分を見せられない

ぼくは今スウェーデンにいるのですが、「スウェーデンに来たぜウェーイ」って言うかんじにはなれてないんです。 それはこのブログでも言えない、心にトゲ(広島・山口の方言ですいばり)のようなものが刺さっていて、それが自然と抜けるかそれとも心臓に達して痛恨の一撃を食らうか今はわからない。 僕以外の他人に自分の姿を見せるときに、その人によって自分の見せ方はもちろん変わってくる。会社の人に休日の自分を見せたくないように。 今は「トゲが刺さっているかわいそうな僕」と、「外国に来て楽しんでいる僕」の両方の僕の姿があって、どちらを見せるかは人によって違う。僕のfacebookの知り合いは、基本的に後者を見せたいのだが、前者を見せたいグループの1人に僕のfacebookでつながっている人がいる。 ぼくはその人をブロックしようとまで思ったがそしたらバレるので出来ない。だから、facebookには結局どの投稿も出来ない。 そして、前者を見せたいグループの1人が今日ぼくにメッセージを送ってきた。しかも、前者のグループと一緒に食事をしている写真を載せて。「Masaさんが元気かみんな心配しています。」と。 ぼくは一体なんて返したらいいんだろう。「元気です」っていうのが定型だろうけど、トゲが心臓に刺さったときに、「瀕死です」とか言えないし。

酒は飲めたほうがいいと思う

最近の僕の愚痴みたいな投稿、別に酔ってたわけじゃないですよ。僕は一切酒が飲めませんから。ただ、スウェーデン情報をお伝えするいい子なブログになりすぎていたので、性格の悪そうな投稿を続けてそれを払拭しようとしています。 よく飲み会とかで、「飲めないんですよ」っていうと、必ず「飲まないんだよね?飲めないわけじゃないんだよね」って聞かれますが、なんなんですかねあれ。 その質問はきっとアレルギーとかで飲んだら死んでしまうことを「飲めない」と言ってるのかなと思って、「あ、飲めないわけではないです」って答えます。 だけど、僕は缶のチューハイ、大学生が「これはアルコールじゃなくてもはやソフトドリンクだから」というやつ、でさえ三分の一ぐらい飲んだら顔が真っ赤になります。だから、缶でも三日に分けて飲む。それ以上飲むと、吐き気との戦いになってそのあとは眠気との戦いになるので、これってもはや「飲めない」と言っていいんじゃないかと思います。 ただ、お酒は飲みたいなと思うのは夜の過ごし方ですね。僕は外食が好きなのですが、外食が好きなのは食べ物が好きというより、家と職場以外の空間が好きなんですよね。酒を飲まないところとなると、食事をするところかカフェぐらいになってしまって選択肢が結構狭まります。食事をするだけなら、15分も持たないし。 あと、お酒はその地域の文化の一つみたいにもなっているので、旅行とか行って各地のお酒を飲むのはきっと楽しいんだろうなとは思います。