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図書館の本をなくしてしまった

図書館で本を借りて、その当日に本を入れていたカバンごと無くしてしまった。 本をなくしたこと自体もショックだがそれ以上に数時間前の記憶が全くないことの方がショックである。 図書館に行った後は、マクドナルドに行ってコーヒーを頼んでそこで読んでいた。だからその時には本は確実にある。そのあと、はなまるうどんでうどんを食べたことは覚えているが、その時にカバンを持っていたのかどうかが全く思い出せない。そして、マクドナルドからはなまるうどんに行く間、どのルートを通ったのかも思い出せないのである。何を食べようか迷っていたから、直行はしなかったはず。となれば途中に立ち寄ったところでおき忘れた可能性が高いが全く思い出せない。 本がなくなったのを知ったのは家に帰ったあと。風呂に入る時に、本を持って行こうとしたらないのである。服を脱いでいたがもう一度着てマクドナルドとはなまるうどんに行ったが忘れ物はなし。警察にも届けられていない。 不幸中の幸いは、財布も携帯もなくなっていないこと。ポケットに物が入っているのが嫌いで、よく財布も携帯もカバンに入れる習慣があったから本当によかった。 翌日、図書館に電話したが、やっぱり届けられていない。もう弁償になると覚悟して、借りた本のタイトルを教えてもらった。別に変なものは借りてないのだが、他人に自分の借りた本のタイトルを告げられるのは結構恥ずかしい。 このお金がないときに、しかも引っ越しをしないといけない時に本をなくしたのは痛い。

さようなら、コーヒーメーカー

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来週、僕は引っ越すことになり、今日から本格的に引越しの準備をすることになった。 引っ越しと言っても今回は、ほとんどの荷物を捨てる。残るものは服や少しの本ぐらいになる予定だ。だから、荷造りと言っても捨てる準備に注力を注がないといけない。うちの地区では、燃えないゴミの日は2週間に一回で、引っ越す前に燃えないゴミを捨てるチャンスは明日しかない。ということで、ありとあらゆるものをゴミ袋に詰めていった。 捨てるものの中に、一人用のコーヒーメーカーがある。使い回しが出来るフィルターが付いていて、そこにコーヒー豆を入れ、一杯分の水を入れれば温まったお湯がコーヒー豆を通ってカップに落ちてくる。非常にシンプルで、僕が大学の時から10年以上使ってきた。まだまだ現役であるが、置いていてもしょうがないので、泣く泣く捨てることになった。寂しいが仕方がない。

アル中の病院費は全額負担すべき

(元?)アナウンサーの長谷川豊さんのブログが炎上しているみたいですね。 内容はこちら。 人工透析の現場と現実 この内容を一言で言うと、 「自業自得」とはっきり判断できるレベルの人工透析患者など、全額自己負担にせよ! ということらしいです。 僕は人工透析について詳しくないのでわかりませんが、少なくとも「自業自得で起こった病気・怪我による病院の出費は全額自己負担にせよ」という意見に賛成です。 僕は、数年間病院の当直としてバイトをしていました。夜5時から朝8時まで、緊急外来の受付のバイトです。 その緊急患者の中で、アル中で倒れたって言う人って結構いるんですよ。さらに、アル厨って他の患者よりたちが悪いんです。 例えば、アル中になった人がいて、救急車を呼ぶ。救急車はほぼ自動的に5分ぐらいで来ます。 でも、その後救急車は病院を探すのです。普通に電話をして。そのときにアル中の人ってなかなか病院はとらない。暴れる場合もありますから。小さな病院だと若い医師が1人ということも普通にありますから。 ただ、救急車は患者に帰ってもらう訳にはいかない。永遠に病院を探すわけです。そのおかげで、救急車一台と隊員数名が他に使えない状態になる。 いつも救急車って電話してから来るまでの時間が話題になりますけど、それ以上に救急車が到着してから実際に病院に行くまでがめちゃくちゃ時間がかかるんです。僕が実際に電話を取った事案で、4時間も病院を探している救急車がありましたから。アル中の人は病院が断る事が多いので、その救急車問題を助長している可能性がある。 アル中って、アルコールを飲まなければ絶対に起こらないことですよね。さらに、アルコールは日常生活で絶対に取らないといけないものではなく、自ら摂るものですよね。それなら、アル中になることもならないことも自分で選択できるんです。偶然じゃないんです。 だから、国民の税金を使ってみんなが支える必要はないと思うんです。病院に行くなとまではいわないから、全額負担すべきだと思います。 このブログの ツイッター もフォローしてね。

仕事だけの人生ってやっぱり嫌だ

先日友人と会って、久しぶりに飲んだ。 その時に、僕が相手の勤務時間を聞いたら、毎日夜10時ぐらいに帰るらしい。夕飯はポテトチップスとかでごまかしているとか。 僕が、「そんな生活嫌だな」と率直に言うと、「でも帰ってもやることなくない?」と言われた。その返しに僕は返す言葉がなかった。 確かに、帰ってもテレビを見ることぐらいしかないな。でも、やっぱり僕はそういう生活は嫌だと思っている。なんでだろう。答えはまだないんだけど。

引っ越し貧乏な僕

僕は9月の終わりに、東京から引っ越します。4月に東京に引っ越してきてわずか半年での移動です。 3月の時点でも貧乏で、引っ越し代金が22万と言われ、気絶したことがあります。その後、クロネコヤマトの3万円弱の料金があってなんとか起き上がってきました。とにかく安い家賃のアパートを不動産屋と回っていたら、公衆便所のような部屋しかなくて30にもなってこんな部屋にしか住めない自分を嫌いになりました。そんな中からきれいな部屋を探したのが現在の部屋ですが、ベッドとキッチンとトイレがそれぞれ一歩で到着できるという極狭な部屋に住んでいて日々「何で生きてるんだろう」って自問しています。 安くは収めたものの、初期費用に12万ぐらいは使ったわけであります。普通の人なら会社が払ってくれるとかありますが、僕には全くそんなことはありません。それでも、働いていれば徐々にお金はたまっていきますが、僕はその前に会社をやめ、その上また引っ越してしまうのです。 しかも、今回はほぼ荷物は捨てて行きます。冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も。それぞれ中古で買ったのに、処分するときはそれ以上の値段がかかります。何で捨てるのにお金がかかるんだコノヤロー。 ということで、僕は「引っ越し貧乏」の代名詞みたいな存在になってます。ipadも更新がなくなり、パソコンも持ってないので買わないといけない。 さらに、昨日長年使っていたカメラが壊れてしまいました。買わないといけない・・・ あー、僕はいつになったら普通に生活できるぐらいお金をもらえるんだろう。 このブログの ツイッター もフォローしてね。