投稿

僕も他人の苦労はわからないのだから、僕の苦労も他人はわからないのだ

今回、ストックホルムに住むことになり、色々大変なことがあった。 その一つは引っ越し。僕は独身でかつ家族がいないので荷物を置いておくところがない。だから、使えるものも何もかも、スーツケースに積めるもの以外は捨てるほかなかった。捨てるのにもたくさんのお金がかかった。 市役所とか銀行とかNHKとか、外国に住むことになる際は国内の連絡先を聞かれる。僕はそれを聞かれるのがとても嫌だ。国内の連絡先などないのである。一応親戚の連絡先を書いたが、それは家族ではない。気安く頼むことができない。 ストックホルムに行く飛行機は自腹、アパートも、もちろん自腹。半年間株式会社ブラックで働いた貯金がほぼなくなる。 ストックホルムで働くことになるまでの経緯もとても大変だった。それは研究職で働く人にとって参考になると思うので、改めて書こうと思う。 僕の大変さとは裏腹に、友人たちは呑気なものである。僕が何回もストックホルムに行くと言っても、「どこに行くんだっけ?」とどうでもいいような対応をする。僕の大変さをわかってほしい。 しかし、よく考えれば、その友人だって僕が知らない人生の修羅場をたくさん経験しているのかもしれない。精神的に参ってしまい仕事に行けなくなったとか、離婚したとか。もし、友人がその大変なエピソードを語っとしても僕は「ふーん」と言って話を終えるだろう。 人々は皆、修羅場を迎える。しかしそれは他人には決してわからない。いくら家族が、末期癌になっても、その人の気持ちをわかってあげることは決してできない。むしろ、たくさんの人の苦しみを感じることができるのであれば、とても生きてはいけないだろう。 他人は僕に、苦しみを押し付けたりしない。だから、僕も自分の大変さや「私、かわいそうな子羊なの」感をわかってもらおうと思うのはやめよう。僕が味わう苦しみは、神様が僕に消化するように分配してくれたものなのだ。

出国時のあれこれ

イメージ
30日に僕は日本を出国した。その二日前、28日には家を引き払い、それからは静岡県三島市の友人の家に泊まっていた。 フライトは30日の12時。いつもは問答無用で鈍行しか使わないが、今回ばかりは新幹線と成田エクスプレスと、豪華に交通費を使った。 成田に着き、宅急便で送っていたスーツケースを取る。東京から成田空港までわずか1300円。安い。僕のスーツケースは一番大きいサイズで、明らかに重量オーバーだと思ったが、家に体重計がないので確認ができず、結局そのまま送った。 成田空港には重量計が置いてあり、そこで測ると26キロだった。制限は23キロだが、3キロぐらいは見逃してくれるだろうと安心し、チェックインへ。 Eカウンターと聞かれ、大勢が並んでいたのでそこで並んだ。僕が乗る飛行機は、アエロフロート、モスクワ経由パリ行き。モスクワに行く人は少ないと思ったが、パリに行く人が大勢いるのだろう。よく見るとみんな浮かれているような気がする。 しかし、列に並んでいるとどうもいろんな文字が韓国語で書かれてある。客もスタッフも韓国語をしゃべっているのが多い。ロシア語は全く見ないが、「これが共同運行便だ」と思い、列に並んでいた。僕の番になり、パスポートを見せると、怪訝な表情をされ、ここではないと言われた。Eカウンターと言っても裏側だったのだ。これで15分は損をした。 幸いにもアエロフロートには人が少なくすぐにチェックインができた。しかし、またここで問題。預け荷物の26キロというのが見事に引っかかったのである。しかも、追加料金は12000円。HPにはモスクワー東京間は手荷物が二個までOKと書かれてあるのに、結局は一個しかダメらしい。料金も払えず、手荷物を増やすこともできないので、手荷物のリュックと荷物を交換することになった。 僕が持っている荷物の中で重いものは、フライパン、皿、ハードディスク、本、パソコンである。僕のリュックには下着類が入っていたからそれと交換。さらに中に入っていたジャンバーは着ることにした。一気に手荷物が重くなった。その後測ったら23.1キロ。ギリギリOK。よかったー。手荷物も一応10キロという制限があるらしいが、手荷物は重さは測られなかった。 予定より30分ぐらい遅れたが、無事荷物は預けることができた。朝から何も食べてないので食堂

出国します!

イメージ
大反響があった(大嘘)昨日のブログの通り、僕は今日からストックホルムに行きます。 大変なことがたくさんあったけど、それは機内で書くとしてひとまず出国します。 まずはモスクワへ。

引っ越し

イメージ
このブログのタイトルにある「四畳半」の部屋を、今日引き払いました。 東京で、しかも中央線の駅から徒歩5分ぐらいの好立地でありながら、家賃は四万円以下でした。ただ、値段相応といった感じで、四畳半の中にキッチン、トイレ、風呂が全部入っている独房のような部屋でした。 風呂はユニットバスで、トイレとの距離がわずか1cm。しかもカーテンが付いておらず、100均で自作したものの、しょっちゅうカーテンが落ちてきました。シャワーを浴びるときも、狭くて常にカーテンが体にくっついている状態で気持ち悪かったな。 ガスコンロのすぐ隣が机、そのとなりがベッドと、本当に生活空間が一つになった場所だった。いいと思えばいいし、悪いと思えば悪いところだったなぁ。でもあんなに壁が薄いのに、隣や上の生活音が全く聞こえなかったのが良かった。みんな、ありがとう(知らないけど)。 最後の立会の人はかなり愛想が悪かった。少しの汚れも見逃さず、どんどん付箋を貼っていく。半年しか住んでないし、かなりきれいに使っていたつもりだけど、それでも壁に小さな傷とかがつく。あんな柔らかい壁紙を貼って、傷をつけやすくしているようにしか思えないんだがなー。 ということで、今日からもう「四畳半」には住まないことになります。みなさま、この砂浜の一粒の砂レベルの存在感のブログを読んでいただき、本当にありがとうございます。 そして明日、10月から僕はどこで何をするのかを発表します!まだまだ続きますからね。乞うご期待。

親友との別れ

先日、中国の友人と会った。その人は、元々は僕の中国語の先生だが、よく一緒に遊んでおり、僕が中国語のレッスンをやめた後も、よく一緒に遊んでいた。 その人は、現在は中華街の近くの商社で働いているが、そこの会社がなくなるというので中国に帰ると言っていた。そう言っているうちに、僕のほうも東京から引っ越さないといけなくなり、結局は僕のほうが先に東京から離れることとなった。 とても仲のいい友人で、あちらは中国に帰るのでもう会えなくなると思い、引越し前に会ってきた。その友人は全く気取ることなく、例えば食事でもチェーン店のファミレスで一緒にご飯を食べるとか、小さな商店街で遊ぶとか、そういう素朴な感じがすきだった。 今回も、顔が犬になったりする自撮りアプリとかで遊んでいた。その友人と一緒にいると本当に楽しい。 夜になり、帰らなくてはならなくなった。その人はもう中国に行く。僕は東京を離れる。会える可能性は、どう考えても年に一回以下になる。もう合わない可能性のほうが遥かに高い。そう考えると悲しくなった。 でも、帰るときに「大丈夫。いつでも連絡できる。」とさり気なく言ってくれた。それで、いつものように軽い挨拶で帰った。別に悲観することはない。いつでも連絡できるし、いつでも会おうと思えば会える。悲しいと思うから悲しいのだ。 そう思うと寂しくない。一人でも、1人じゃないと思うだけで良いのだ。 このブログの ツイッター もフォローしてね。