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冬の太陽のように働こう

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スウェーデンは緯度が高いので、冬はかなり日が短いです。 今は日の出が朝の八時、日の入りが昼の三時です。だから朝日が出たかと思えばすぐに夕日になります。人間の仕事時間も、そのくらいでいいと思うんですけどね。

ウィルスが迫ってくるよ!

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東京は雪が降ったそうですね。ストックホルムは11月のはじめに雪が降りましたが、すくなくとも先週からは最低気温も氷点下にならないぐらい暖かくなりました。多分今日は東京と気温はあまり変わらないんじゃないかな。 ただ、気温が低いことには変わりなく、そのためダウンしている人も結構います。 職場の僕がいる場所には、6人がいます。右左に3人ずついて、僕は右側の真ん中の席。 僕の左隣りの人が最近いないと思ったら、風邪でダウンしていたらしいのです。それから2日後、僕の後ろの人がダウン。そして、その2日後に僕の右隣の人がダウンしました。つまり、風邪が僕を避けるように”く”の字型に感染しているのです。 まるで僕の周りにバリアがあるようですが、そのダウンしていた3人が今日復活したのです。といってもかなり具合悪そう。 狭い部屋に6人、そのうちの3人が風邪。特に僕は、風邪の野郎に三方を塞がれているのです。もう逃げるすべはありません。 そう思ってくると、いきなり寒気がしたような気がします。喉も痛いような。やばいやばい、病は気からと言いますがまさにそうなりそうです。 しかも、僕は独り身。他はみんな彼女がいるか結婚してるか。未だ薬局がどこにあるかもよくわからないうちに、海外で病気なんかなりたくない!! ということで、風邪に負けないようにしなければ。 風邪には果物だ!と思い、スーパーでバナナ買ってチョコアイスをかけて食べてます。これで、風邪は引かないぞ!!

国籍とかいう既得権

僕が海外に来て最大の懸念だったビザ。ネットを見てみると、ビザでヒヤヒヤしている人が結構多いことに気づいた。 三ヶ月以上外国で働くためには当然労働ビザが必要。ビザというのは会社マターではなく国マターなので、就職の内定が出たからといってビザが下りるとは限らない。ビザが下りなければ、失職になるので本人にとっては相当なダメージになる。 これが気になって僕はビザの承認が下りるまでは本当に寝れないぐらい心配だった。 周りの同僚にビザのことを聞いたら、驚くべきことを知った。EUに加盟している国はEU内で働くときにはビザが必要ないらしいのだ。僕はこの時正直に「ヨーロッパに生まれてきやがってこのやろう!」と思った。 ただよく考えると、日本国籍も世界からみると相当な強権力。隣の国の中国だったらどこに行くにもビザが必要なのに、日本国籍だとほとんどの国はビザなしで旅行ができる。 僕は数年前に青年海外協力隊でタンザニアに行ったけど、それは僕がただ日本にたまたま生まれたから支援する側になっただけで、能力があったわけでもなんでもない。シリアの難民も、難民自体は何も悪くはない。 生まれる場所は選べないのだから、それによって人生が左右されてはならないというのが僕の考え。でも実際は違う。日本に生まれたら、その人がたとえ極悪人だとしても自動的に日本という会員制クラブに入れる。本当は、「日本語検定3級以上で、税金を月に3万円払える人は誰でも日本に住める」としたほうが公正だと思う。ただ実際はそうではない。 そんなこと言ってもこんなポンコツの僕にはどうしようもできないけど、僕は今日本国籍を持っているというのは事実なので、その権力はフル活用しなければ損だとは思っている。そして、これは綺麗事かもしれないけど日本国籍という強力な既得権益を持っている以上、権力を持っていない人たちよりも苦労をして、そういう人たちを支援したいと思っている。でもなかなかできないんだよなぁ。

仕事で本名を使う必要はないんじゃないか

初対面の人に、「まささんって○○なんですね!」って言われたことがある。その人は参加者全員をネットで検索したらしくって、僕があることでネットに載っているのを見たらしい。 別に悪いことじゃないのでいいんだけど、なんかちょっと気持ち悪い。というのは、場所や立場が変われば、見せたい自分っていうのは変わるわけで、違う分野にいるときの自分はなるべく見せたくない。 とある本に、「分人」という考え方が書かれていた。1人の人間は分けることのできない個人(Individual)ではなく、幾つかの分人(Dividual)の集まりだと。僕はそう思う。 例えば、仕事の中の自分と、家庭にいる自分と、渋谷のキャバクラにいるときの自分は全く違うだろう。だから、Facebookに一人でも職場の人間と友達になると休日に遊びに行ったこととか急に書きづらくなる。 だから、仕事ではわざわざ本名を使う必要はないんじゃないかなって思う。今の世の中、メールに名前が載ってると、検索してみたくなるという人は結構いるわけだし。 今の社会は、メールアドレスがそういう意図で使われている。会社に入ると、職場のメールを作らされ、会社を出るとメールアドレスは使えない。メールアドレスは「職場にいるときのAさん」という考えで作られている。だから、それと同じように、職場ごとの名前っていうのがあってもいいんじゃないか。 このブログも、本来は実名でやろうと思っているのだが、ブログを書いている自分っていうのは、僕の分人の中の一つで、職場にいる自分とは違うものだ!と思うと、なかなか実名ではかけないでいる。

理想と現実を行き来する

トランプが時期大統領に受かったのは、政府の綺麗事に国民が辟易した結果だとみんな言っています。 しかし、8年前は空前のオバマブームでした。パチンコ屋ですら、オバマの写真を使って「Yes we can!」とか広告を作ってたぐらいですから。実際にあの時はすごかった。僕は高校まで、アメリカの大統領はWASPしかなれないと教わったため、初めての非白人が大統領になったときはベルリンの壁崩壊レベルのことだと思いました。挙句にスマートな体で迫力のある演説をし、核廃絶を訴えノーベル平和賞をもらうなんてまさに映画のような出来事でした。 でもあの時理想を求めていたアメリカは、8年後にはあっけなく「綺麗事では飯は食えない!」みたいなことをいい出した。オバマもアメリカっぽいし、トランプもアメリカっぽいけど、これはよく考えると人類はすべてそういうもんなんでしょう。 そもそも、理想と現実っていうのはお互いに正しいのだけどそれが故に、相容れないものなのかもしれない。 世界の宗教は大きく一神教と多神教に分かれるけど、一神教は理想的、多神教は現実的な考え、といえます。 例えば、ブッダの毒矢の例えにこういうのがあります。 例えば、ある人が毒矢に射られたとしよう。その人の友人や家族は医者に見せて早く矢を抜き取ろうとする。しかしその本人が『矢を射た人はどんな身分か、何という名前か、どういう苗字か、背が高いか低いか中くらいか、肌は何色か、どこに住んでいるのか、それが分からないうちは矢を抜くな』と言ったらどうなるか。その人はそれを知らないうちに死んでしまうだろう。君が言っているのもそれと同じことだ。その答えを知る前に人は死んでしまう。 コレを見ても分かるように、仏教は非常に現実的です。「右の頬をぶたれたら左の頬を出しなさい」なんて言ってるキリスト教徒は違います。 宗教だけでなく、仕事でも「理想より」と「現実より」な仕事があります。 例えば、僕が今就いている研究の仕事はかなり理想よりです。宇宙からの電磁波を数億円かけて測ったところで、人間を助けられるわけではありません。僕もしょっちゅう仕事のことを友人に話す度に「それなんの役に立つの?」って言われます。実際僕も、「こんなことせずに、カフェでコーヒーだしてお金もらうほうがよっぽど世間のためだ!」と思います。 しかし、