SNSという雑音


自宅で育てているミント。最近あまり元気がない。

先日このブログで書いたように、僕はInstagramとTwitterを辞めた。正式には、どちらも未だ休止状態で復活することが出来るようだ。

TwitterもInstagramも休止したことで、自分が投稿できないだけでなく、他人の投稿も見ることが出来ない。僕自身、公開ブログをやっていてこんなこと言うとブーメランになってしまうが、他人の投稿を見ないでいるのは清々しい。

他人の投稿したものなど、ほとんど自分にとって興味がなく重要でない。そればかりでなく、時には何気ない言葉で自分が傷ついてしまうことがある。「TOEIC800点取りました!」というような何の害もなさそうな投稿でさえ、英語がネックな人にとってはダメージになる。そのような害になれど、薬にもならないような投稿をわざわざ見る必要はない。

人間の脳はコンピューターとは違って、あらゆる情報を得ている状態が標準状態。例えばある人の話を聞くときは、その人の声を受け取るのではなく、他の雑音を引いていく。だから、雑音が入ってくる状態のほうが脳にとっては居心地がいい。

だから通勤時間などは、何か目や耳からの情報を欲しがる。長い文章を読むのはつかれるからTwitterやInstagramなど簡単な情報で穴埋めをしていく。その情報がほとんど意味がなく、時には傷つくことがあったとしてもやめられない。

TwitterとInstagramをやめたことで、気に入っていない服を大量に捨てた気分のようだ。ずっと必要だと思っていたけど、本当は必要なく、その分雑音が減ってスッキリする。


ただ、実は今までの文章の流れに反して、僕はTwitterとInstagramのアカウントを復活させようとしている。その理由はまた次回に書く。