より単純でキャッチーな情報になっていく

ハイドンは、18世紀に活躍したオーストリアの作曲家。18世紀中頃まではハンガリーの大貴族がパトロンになり、作曲からオーケストラの運営まで面倒見ていたが、そのパトロンが亡くなると、ロンドンに行き、市民相手のコンサートで大成功を収める。

客が変わることでハイドンの音楽も変わる。パトロンがいたときは、歌に通暁した貴族たちを相手にしていたので、同じようなメロディの中での、ちょっとした工夫で聴かせる曲が多く作られた。しかし、通でない一般市民相手になると、飽きさせないように、キャッチーになっていった。

更にベートーベンの時代になると、市民自体が音楽に参加するようになり、メロディ自体が優しくなっていった。

このように、”届ける側”と”受け取る側”が元々少数のプロだったが、徐々にどちらも素人になっていき、情報が単純化していくという流れがある。

この流れは、現在文章において顕著になっていると僕は思う。届ける側がプロ、受け取る側が素人であった時代は昔からあったが、ネット、特にSNSが普及するに連れ、届ける側も素人になり、情報も単純化、キャッチーになっていく。


音楽なら問題ないけど、文章であればより直接的な情報になる。人の思考に直接的に影響する。届ける側が素人になり、さらに届ける側の人口が急激に増えると、正しさよりも、より単純でキャッチーな情報が残り、それで人間が間違った方向に進んでいく危険性があるのじゃないかと思う。

ただ、今のところはやっぱり正しいものが残っているようなきがするけど