自分が死んだ後でも、社会を幸福にし続けられる仕事をしたい

以前『ラッセル幸福論』のまとめとして、以下の二つの行動を起こすときに人は幸福になれると書いた。

一つ目は、他人の目を気にせず、本当に心から自分がやりたいと思うことをすること。もう一つは自分の中に引きこもらず、社会を幸福にするような行動を起こすこと。

僕はどのような仕事をしたいか。僕は今研究者であり、同時に芸術家をとても尊敬している。研究者と芸術家に僕が心を惹かれる理由がはっきりとしてきた。

それは、それらの2つは「自分が死んだ後でも、社会を幸福にし続けられる」からである。

例えばコーヒーショップの店員は、今の僕よりもはるかに社会を幸福にしている。だけど、その店員が存在しなければならない。医者も病気を治せるが、その医者が死ねば病気を治せない。でも、薬を作る研究者は、その研究者が死んだ後でもその薬で人を治すことができる。ピカソの絵は、ピカソが死んだ後でも人を魅了することができる。

僕は、コーヒーショップの店員よりも研究者のほうが偉いとは決して思わない。コーヒーショップの店員は必要だが、研究者は必要でないとすら思っている。国家が研究や芸術のために数百億円費やすのであれば、その分福祉や教育に回せという批判があれば、それを受け入れるべきだと思う。しかし、僕がやりたいことは自分が死んだ後でも、社会を幸福にし続けられる作品を作ることなのだ。だから批判を怖がらず、未来を怖がらずに進んでいこう。