大学の講義をしてきた

僕は今大学のような所で雇われているんですが、今週の月曜、水曜と講義を担当していました。講義を受ける学生ではないですよ、講義をする講師の方ですよ。

日本の大学だと大学の講義はほぼ教授がやるんですが、こっちではわりと下っ端がやります。

内容は一応僕の専門っぽいことだったんだけど、実際は僕の全く知らないことを講義しました。例えて言うと、毎日パソコンを使ってる人が、上司に「君、パソコン使えるみたいだね。今度パソコンがなぜ動くかについて講義してくれる?」と言われたような感じです。本来だったら僕が学生時代に習ってても良さそうですが、僕は色々専門が変わってるので大学時代の知識がほぼ役に立ちません。

そのおかげで、先週の土日はほぼ講義の準備で潰れましたよ。もちろんお駄賃もなしですよ。給料のうちです。

英語だし、教えるのは大学院生だし、僕も初めての内容なので緊張しましたが、なんとか終わりました。講義をして、感じたことをここにつらつらと書いていきます。

1.臨機応変

まず、臨機応変というのは、その場で考えるのではなく予め準備しているカードの中から選ぶということ。

大学の講義は途中で、質問が来るのですが、その時に思いついたことをつらつらというと、ほぼグダりますね。だから、予めどういう質問が来るかを考えてそれを説明する準備をしていないといけないです。

2.学生が離れていくのを肌に感じる

これはいつものプレゼンでも思うことなんだけど、僕のプレゼンに対して興味を持ってないとか、意味がわからないと聴衆が思っているときに、ビシビシ肌に感じます。なんか、みんな離れている感じ。そのかわり、注目してくれているときも結構肌に感じます。その時はいいけど、離れてるときの冷や汗感ったらないよね。政治家も「逆風を感じる」とかいいますが、実際に当事者はかなり風とか雰囲気を感じるもんですよね。


3.人は他者との関係抜きには生きていけない

いきなり哲学的になって申し訳ないですが、現在の僕のテーマみたいになってるので書きます。講義が終わって、殆どの学生は無言で教室からでていきますが、中には「Thank you」と言ってでていく人がいます。それが嬉しい。たった1ナノでも、役に立ったという喜びがあります。

https://amufaamo.blogspot.se/2018/01/blog-post_19.html
こっちでも書いたけど、人間は「他人に認められたい」という欲求と、「自分のやりたいことをしたい」という欲求があります。スウェーデンに来てから僕はかなり「自分のやりたいことをしたい」という欲求の方に傾いて、ほとんどの人と交流することはなくなりました。しかし、最近様々な本を読むにつれ、自分というものは他者抜きには考えられないということも学びました。陰がないと光がないのと一緒で、他者がいなければ自分もいません。自分を認識したければ他者がいなければいけない。僕は研究者で、誰にも必要とされず誰にも褒められることはありません。孤独を感じていたのですが、今日の講義で他者と接触したことで、少しでも「他人に認められたい」という欲求の方に針が触れたのはよかったと思っています。