[DE→PL]寒波の中 その4:夜のベルリンをフラフラ

イーストサイドギャラリーからまたベルリンの街に戻る。午後五時だがもう真っ暗になってしまった。年末にねん挫した足がまた痛み出し、ズキズキする。ベルリンの街は寒くて暗い。寂しくて、ダウンロードしていたポッドキャストを聞きながら歩く。

本当はペルガモン博物館という所に行こうとしたのだが、この博物館のメインである「ペルガモンの大祭壇」が改修中でみれないということで、その博物館には行かず、そのかわりにベルリン大聖堂に行った。僕はたいていの場合その土地で一番大きな教会によることにしている。その理由は単純で、街は基本的に教会を中心として作られているからである。

ベルリン大聖堂

ネットで調べたところ、教会は午後8時まで空いているはずだったが、午後5時以降はミサをする人のみが入ることができるということで中に入ることができなかった。仕方がないので次の名所であるホロコースト記念碑へ向かう。この場所は、ホロコーストで犠牲になったユダヤ人の記念碑が並べられている場所なのだが、暗くてただのコンクリートが並べられている場所という感じだった。
ホロコースト記念碑
寒い中をずっと歩いていると体が冷え、腹が減ってきた。僕はドイツを非常に暗い場所だと思っているが、良いイメージなのは食べ物が美味しいからである。しかし、ベルリンに着いてから全く何も食べていないので、ここで暖かいものでも食べようと思った。しかし、あたりを見回してもレストランが見当たらない。ここはベルリンでもかなりの中心のはずだが、食べるところがない。ようやくブンデンベルグ門の広場にパン屋を見つけたのだが、「もう閉まるからテイクアウトしか無い」と無愛想に言われ、しょうがなくパンを勝って外で食べた。

ブンデンベルグ門とかじられたパン
パンを食べ次の目的地のチェックポイントチャーリーへ向かう。ここは、東西ベルリンが分断されていた時に検問所となっていた所で、今でもアメリカとソ連の国旗を持った人が立っているそうである。この場所は中心から結構歩く。痛む足を引きずりながら寒い街を歩いていった。

しばらく歩き、チェックポイントチャーリーへ到着した。そこには確かに軍服の人が立っていたが、二人ともアメリカ国旗を持っていた。観光客もおらず、寂れた感じなので、遠くから写真を撮って戻った。
チェックポイントチャーリー。両方共アメリカ国旗を持ってる。
戻る途中、カフェに入りコーヒーを飲む。ベルリンに着いてから一切座らず歩き続けているので流石に疲れた。アインシュタインカフェというところを見つけたので入ったら、「もうすぐ閉店だけど」と無愛想に言われた。ただ、どうしても座ったのでそれでも良いといい、店内で飲んだ。ベルリンの店員はどうしてこんな無愛想なんだ。

コーヒーを飲んだあと、最後の目的地である国会議事堂に行く。ここは事前予約でタワーに入ることが出来る。予約を9:45にしたのだが、やることがなくなってしまったので8:00に行ってみる。断られるかもと思ったが、中にはいることが出来た。国会議事堂で、テロの危険もあるため厳重な検査をし、エレベーターでタワーに入る。音声で外の様子を教えてくれるのだが、外が暗くてほとんど何も見えない。
国会議事堂
ベルリンでもうやることがなくなってしまったので、ポーランド行きのバスに乗るため、電車に乗る。ホームの場所を警察に聞くと、丁寧に教えてくれた。乗り換えがあるため、電車に乗ったあとも乗客にこの駅にはどう行けばいいか聞いた。乗客はスマホを調べ、丁寧に教えてくれた。ベルリンの店員は無愛想だがその他の人たちは親切そうだ。

バスの出発時間よりも2時間も早くバスターミナルへ到着した。今回のベルリンの旅は不完全燃焼感がいなめない。バスターミナルの近くにあるバーで「カレーブルスト(カレー味のケチャップがついたソーセージ)」を食べる。
カレーブルスト。これはおいしい。

夜11時、ポーランドのワルシャワ行きのバスに乗る。バスに乗ろうとすると何やらおじさんが不機嫌そうに僕に話しかける。順番を守れと言ってるのかと思い、先におじさんを通す。おじさんはスーツケース2つ分の荷物を持ち、予約してある紙を見せるが、運転手は「お前はダメだ」と、毎日来るクレーマーのような対応でおじさんを跳ね返す。もしかしたらこのおじさんは毎日この場所に来て、でたらめなチケットでバスに乗ろうとしているのかもしれない。

バスに乗り、出発まであのおじさんが入ってこないか心配しながら待つ。定刻通りバスは出発した。あのおじさんはこの寒い夜をどう過ごすのだろうか。