忙しければ青春しないのではないか


先週担当した講義が、まだ尾を引いていて、今週は結構切羽詰まっている。

講義は終わったのだが、その後のAssignmentがあって、その評価をしなければいけない。Assignmentというのは、要するに宿題。Homeworkというのは基本的には評価されることのない宿題であり、Assignmentというのは評価のされる宿題だということらしい。

学生が40人いて、僕は講義を二個担当したので、40x2=80の宿題を見なければいけない。実はAssignmentは他の人が考えたもの(数年前の使い回し)で、これがかなりの悪文でどうやって答えるのかわからない。そんななか、一生懸命学生は解いて提出してくれたので、こちらも一つ一つコメントしていかないといけない。果てしなくめんどくさい作業である。

最近、人生とは何かというのを常に考えている。それは僕が暇だからというのがあるのかもしれない。姜尚中さんの『悩む力』に書いてあったけれども、自分自身は何かということを問いかける時期を、「青春」というらしい。ということは僕は今青春の真っ只中にいるのではないかと思う。

暇だからそういう無駄なことを考えるということは、忙しければ考えることがない。自分探しをしないようにするには忙しくすればいいのではないか。

よく、残業が問題になるけれども、本当にみんなが問題にしているのであれば残業というものはなくなる。残業をすることで、サルトルのいう「自由の刑」から逃れて、自分自身に「これでいいのだ」というめんざいふをあたえている。

ただ、僕はやっぱり忙しいという生活はどうしてもできない。暇で思索にふけるような生活を僕はしたい。