村上春樹が考える、健康と文学における病的な暗闇の関係性

村上春樹のノンフィクションを最近良く見ている。最近はこの本を見た。

 

 

うずまき猫のみつけかた

うずまき猫のみつけかた

 

この本で、健康について書かれている場面があり、興味深いので引用します。

 

 

世間には、作家に対するステレオタイプな思い込みのようなものがあって、今でも多くの人は作家というものは毎日のように夜更かしをして文壇バーに通って深酒を飲み、家庭なんかほとんど顧みずに、持病のひとつやふたつは抱えていて、締め切りが近くなるとホテルで缶詰になって髪を振り乱している人種だと信じているみたいだ。

だから、僕が夜はだいたい10時に寝て朝6時に起きるし毎日ランニングをして、一度も締め切りに遅れたことはないと言ったら、しばしばがっかりされる。さらに言えば、二日酔いと便秘と頭痛と肩こりは生まれてからほとんど一度も経験がない。

そんなことを言われるとその人の中にある作家の神話的イメージがガラガラと壊れてしまうらしい。申し訳ないとは思うけれども仕方ないですね。でも世間に流布しているそのような破滅的作家、はベレー帽をかぶった画家とか、葉巻をくわえた資本家と同じぐらいのレベルのリアリティを欠いた幻想であって、実際にみんながそんな自堕落な生活をしていたら作家の平均年齢は多分50代まで下がってしまっているはずだ。

まあ、中にはそういうタイプのワイルドかつカラフルな生き方を経口的に好む人あるいは夕刊に実践なさっておられる方もいるのかもしれないが私小説という実生活を切り売りする小説スタイルが主流を占めていた昔のことはいざ知らず、僕の知っている昨今の職業作家はそんな荒っぽい生活は送っていない。

 

小説を書くというのはだいたいにおいて地味で寡黙な仕事なのである。静かにきちんと仕事をしていることの人のことはあまりニュースにならないというわけだ。

 

でも作家があまり健康的になってしまうと病的な暗闇(いわゆるオブセッション)がカラッと消えてしまって文学というものが成立しないのではありませんかと指摘する人もなかにはいる。

しかし僕に言わせていただければ、それぐらいで簡単に消えてしまうような暗闇なら、そんなものそもそも最初から文学なんかになりませんよということになる。そう思いませんか。

 

大体健康になるというのと健康的になるというのはこれは全然違う問題なのであって、その二つを混同すると話がちょっとややこしくなる。健全な身体に黒々と宿る健全な魂だってちゃんとあるのだと僕は思う。