アイデンティティがなくなっても自分がなくなるわけではない

今日本と海外両方で就職先を探している。日本のところは、エージェントさんが頑張ってくれているので結構いい感じ。本当にエージェントさん感謝。

海外のところはもう片っ端から出してるけどうんともすんともしない。もう無理かな。

僕の気持ちとしてはやっぱり何処か海外に住みたいなと思っている。というのは、自分の持っている国籍とは違う国に住んでいるのが自分のアイデンティティになっているような気がするから。だから、自分が日本に住むと、何処か体の一部がポッカリと取れたような感じになる。研究者というアイデンティティもなくなると、自分自身がなくなってしまう感覚になる。そうならないようにこのブログもあまり特化したことを書かないようにしてきたつもりだけど、それでも自分の心の中にはそういうのが根付いている。

でも本当はたとえ過去の自分とは変わったとしても、自分の体としては何一つ減っているわけではないということを認識しないといけない。たとえば、歌手が歌えなくなったとしてもそれは過去とは違う自分になっただけで、自分自身が死んだわけではない。そして過去の自分とは変わるのは当たり前だと思わないといけない。人間の分子は一年ですべて入れ替わるわけだけど、自分自身がなくなっているわけではない。例えば一年ぶりにあった友達を見たときに、本当は原子すべてが変わっているわけだけど見た目は何も変わっていない。過去の自分の色とは違う色になったかもしれないが、自分がなくなったわけではない。変化することは当たり前なのだ。

そう考えると、自分は一体何者なのかを考えること自体意味のないことかもしれない。定義したところで変化するわけだから。ただひたすら人のため、自分のために生きていくことで、蓄積していくしかないのかな。

多分すごく読みづらい文章になったと思う。すみません。