本 『その日暮らしの人類学』

人類学者というものは、金銭的・物質的な側面では明らかにわたしたちの社会よりも貧しい社会に、わたしたちの社会とは異なる豊かさがあると主張する。本書も「その日暮らし」を切り口にして、貧しい国々の人たちの生き方に焦点を当てている。

その日暮らしというのは、ネガティブな意味でよく使われる。逆に「未来の為に生きる」という言葉はポジティブな意味で使われる。しかし、本書では「未来のための」生き方は、日々が未来のための手段に成り下がっていると、ネガティブな意味であると捉えている。

以下本書の抜粋である。

「日本やアメリカのような社会では、逆に、明日のため、未来のために、いまを手段化したり、犠牲にしたり、ということを徹底的にやっている。いい学校、いい就職、いい老後のためには、いまを楽しんでいる暇などない、というわけです。ここでも大事なのは効率です。あるゴールに向かって、無駄を削ぎ落として、つまり、いまを犠牲にして効率性をあげることが進歩なんです。効率化を目的化した現代社会は加速し続けるしかない社会です。効率ってそもそも、おなじ時間内により多く生産したり、おなじものをより短い時間で生産するという生産機械のための概念だったのに、それを現代社会 人間や自然界にそのまま当てはめてしまっている。そういう社会が必然的に生み出すのが、人間性と生態系の破壊です。」

本書の後半は主にケニア・タンザニアの人々がどのように金を稼いでいるのかを論じている。この地域は8割がいわゆる日雇い労働者であるため、日雇い労働者が蔑まれることはない。

しかし、本書にはアフリカの日雇い労働者は、「そう生きたいから」日雇いとして生きているのか、「そう生きざるを得ないから」生きているのかは論じていない。彼らは本当は定職に就きたいのか、労働時間や幸福度はどちらが高いのかはよくわからない。淡々と日雇い労働者の仕事や、その経済の仕組みについて書かれてあるが、重要な「どちらがいいのか」という答えは出していないのである。

一体どう生きるのが正解なのか。ここ最近の僕のテーマはそこであるため、注目してしまったが少し尻すぼみしてしまったような気がする。