最後の旅 チェルノブイリ博物館へ

宿では夜の八時頃からたっぷり寝て、朝もゆっくりと起きた。宿を出て近くのスタンドでチキンサンドを頼む。キエフの食事は安くてうまい。そこから街を歩いて、幾つかの協会を廻った。

キエフは他のヨーロッパの国とは趣が違う。ロシアに国境を接する国は否応なくロシアの影響を受けているものだが、どことなく抵抗しているというか、ロシアの影響を必死に隠しているような感じがしていた。文字もアルファベットとキリル文字が混合しているところがほとんどだったが、ウクライナでは、アルファベッドは存在せずにすべてがキリル文字で、すべてがロシア語なのである。だからだろうか、いさぎがよくすっきりとしている。

本日やるべきことは、1時にベラルーシのビザを取ることである。このビザを取得しない限り、僕のヨーロッパの旅は完成しない。それまでに時間がまだあったので、チェルノブイリ博物館によることにした。最寄りの駅まで行き、チェルノブイリ博物館を探すが一向に見つからない。道端に座っていた女の子に場所を聞くと、目の前の博物館であった。外見からはただの建物しか見えない。

チェルノブイリという場所はもちろん知っていたが、それがウクライナだとは知らなかった。首都のキエフから北に50km離れたところにある街であり、そこにある原発が、終戦間もない1986年4月に臨界事故を起こしたのである。

博物館の入り口には、なんと鯉のぼりが飾ってあり、ロシア語と日本語で書かれた垂れ幕が掲げられてあった。それは間違いなく、チェルノブイリと福島を意図している。国際原子力事象評価尺度では、チェルノブイリと福島の原発事故が最も深刻な事故であるレベル7にあてられている。

2011年3月11日、静岡にいた僕でさえ、危険を感じる揺れを感じた。僕はその当時テレビを持っていなかったので、その震災がどれほど深刻なのか把握していなかったが、いつまでたっても震災のニュースは止むことがなく、原発が事故を起こしさらにそれがチェルノブイリと同等の最悪の事故になったときはショックであった。どこかで、チェルノブイリは昔の途上国の話で、日本で起こるはずはないと思ってたのだと思う。しかし、チェルノブイリの事故の際はヨーロッパ全体が汚染されたらしいが日本の場合は被害はそこまでひろがってはないようだ。