東南アジア周遊 その3 プノンペン

次の日の朝7時にホテルに迎えが来て、バスでプノンペンへ向かう。バンコクからシェムリアップのバスに比べ、ローカル感が強い。最初乗客は三分の一ほどであったが、頻繁に停車し、どんどん客を乗せていく。大音量でBGMがかかり、それに負けじとみんな大声でしゃべる。

途中、昼食休憩があった。バスの運転手にどのくらい止まるのかと聞いても、無愛想にしているだけでわからない。僕は一度こういうときにバスに見捨てられそうになった経験があるので、こわくて水だけ買ってバスに戻ることにした。

午後三時にはプノンペンに到着し、そこからゲストハウスまで歩く。プノンペンは僕がイメージしている東南アジアの都市そのもので、バイクが多く、喧騒とゴミ混じりの年であった。

朝からろくに何も食べていないので、腹が減ったため途中でクメールヌードルの店でヌードルを食べた。僕の感覚だと、カンボジア料理というのは地理と同じくタイ料理とベトナム料理の中間ぐらいだ。このヌードルも、ベトナムのフォーの麺がタイカレーに入っている印象である。

ゲストハウスに到着し、すぐにシャワーを浴びて少し寝た。今回はドミトリーに泊まったので、隣にも人がいる。ヨーロッパのドミトリーはどこもきれいで部屋の中ではほとんどしゃべる人などいなかったが、アジアのゲストハウスはたまに外れがあるのである。小のゲストハウスも決してあたりではなかった。



夜に歩いてプノンペンで人気とされるBrown coffeeというカフェに行った。中はおしゃれで、僕はそこでコーヒーとハンバーガーを食べた。現地の食べ物に少し飽きていたのだ。

プノンペンはそこまで発展しているイメージはないのだが、やたらとおしゃれなカフェが多い。そしてメニューを見る限り、AmericanoよりもEspressoのほうが上に書かれてあるため、イタリアのように、コーヒー=エスプレッソなのかもしれない。エスプレッソ派かドリップコーヒー派かは、僕がヨーロッパを旅行していたときに話題にしていたことであり、アジアでもこういうこうさつができるのは嬉しい。

しかし、やはりカンボジアはお茶の国なのではなると思う。先程食べたクメールヌードルの店ではお茶は無料で提供されたし、市場などでだべっているおじさんたちもみんなお茶を飲んでいた。

コーヒーの値段はだいたい2ドルほど。ローカルの食堂では、2ドルで普通の食事ができるので、やはり日本よりかは高い感覚なのだろう。

次の日、朝早くに市場に向かった。そこで朝食を食べようと思ったが、途中にフランスパンのサンドイッチを売っているおばさんがいたのでそれを買って食べたらお腹が一杯になってしまった。2000リアル。市場に付き、そこの隣にあるsoryaのバスターミナルで明日のチケットをかう。


僕はそこでまだ次どこに行こうか迷っていた。本来のスケジュールではベトナムのホーチミンに行く予定だったのだが、北上してラオスに行くというプランもある。避難されるたびのスタイルかもしれないが、僕はできる限り多くの国に行きたいと思っており、ラオスに今回行かないとまた次にラオスに来る必要がある。正直に言うと、僕は東南アジアにそこまで魅力的に思っていないので、今回の旅でラオスに行きたかったのだ。そして、東南アジア的な年に辟易していたということもある。ネットの情報によるとプノンペンはホーチミンよりもゆったりしているそうなので、ホーチミンのほうがよりうるさいのだろう。それだったら北上して、村に止まったほうがいいのではないか。

しかし、北上するにもエネルギーがかかる。まず北の国境からラオスに入国する情報が少ない。次に、一日でラオスに入ることはできず、手前のStung trengで一泊しないといけない。しかも国境を超えるというのはめんどくさいことなので、ラオスを通ると二階の国境超えを泣いといけななくなる。


結局僕はStung trengのチケットを取ることにした。11.5ドル。Strung trengからPakseまで15ドルなので、合計25ドルぐらいか。

どうせだからと市場に入った。予想通り人とモノが溢れかえっているのだが、市場の中は驚くほど静かで中には宝石や時計が売られていた。

そこからわっトプのんへ登り、ホテルに戻ってシャワーを浴びて休憩する。鏡を見た途端、あまりに僕が日に焼けているので驚いた。タイカンボジア国境のときにイタリア人に「あなたはタイ人か」と間違われたが、たしかにこれでは現地の人と見分けがつかないだろう。と同時に、ホームシックになってしまった。僕は今有給を取得しているときで、世間は働いている。更に僕自身やることはたくさんある中で、一見無駄とも言える行為を何故しているのだろうか。

元気がなくなり、食べ物も日経のMaxvaluでチキンとコメを買い、それを食べるだけだった。かと言って、ホテルでずっと寝ていたら更に気持ちが塞いでしまうと思い、ちかくにある虐殺博物館に行った。

「虐殺博物館について」

その後、スタバで十分身体をひやし、メコン川まで歩く。僕はメコン川に憧れを持っていた。メコン川は東南アジアを流れる大河で、多くの国を通り、かつ緩やかな流れのおかげで物流にも役立っている。とある本によると
メコン川はベトナム、カンボジア、ラオスを抜け、中国の雲南省が始まりであるらしい。た今回もそういうたびにしようかともお思ったが、日程が少ないので断念した。

ホームシックになった今、なぜ僕が旅をしているのかについて考える。やはり人間である以上、何かしらん人の役にあったっていないと行けないのではなきか。旅をするということは何もしてないないのと一緒なのではないか。そう思うのだが、僕は旅で人を喜ばせることはできるのだろうか。

次の日、早朝にバスターミナルへ行き、Stung trengへ向かった。