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[TR→BF]ヨーロッパ東端から その13:さよならソフィア

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) 13回も続いた今回の旅も最後。 Moma restaurantに行ったあと、帰国まで時間があったのでソフィアの街を歩く。 街はきれいだが人が少ない。 道路の向こう側に山が見える。僕が住んでいる地域はなだらかな地域なので、ああやって向こう側に山が見えるのは新鮮。僕の故郷は盆地で、360度山が見えていたので故郷を思い出す。 ブルガリアに来てヨーグルトを食べていなかったので、ヨーグルト味のアイスを。  ということで地下鉄で空港へ。さよーならー。 東欧の旅は終わりますが、またすぐ次の旅が始まりますよ〜。

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その12:ソフィアもうまいのである

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) たった0泊2日の旅なのに、ダラダラと書いてる東欧の旅。ついに残すはあと二回。 ソフィアで唯一やることだった、大聖堂にも行き、あとは飯を食うだけである。 あまり知られていないが、ブルガリアは美食の国らしい。世界三大料理のひとつであるトルコに接し、地中海にも近く、さらに食の都フランスに食材を輸入しているのだそうだ。しかも物価はとても安い。これは期待ができる。 と言ってもあまり下調べをしてこなかった。昼食の前にスタバに入り、Wifiを使って調べた結果、 Moma restaurant というところがおすすめだと言うので行ってきた。  確かにブルガリアっぽい雰囲気。  ブルガリアのコーヒーを頼んだ。トルココーヒーのようにどろどろしたコーヒーである。ゼリーのようなものがついてきた。 水がローズの香りがする。うまい。 肉料理を頼んだ。これが本当にうまい。ブルガリアはうまいのである。  ブルガリアのスパイスがついてきた。パンにつけたり肉につけたりすれば良いらしい。お土産屋にもうってあった。 次はいよいよ最終回!!!

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その11:ソフィアの中心

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) ソフィアの駅から歩いて中心部に向かう。EUの中では最貧国ではあるが、途上国のような雑然とした感じはまったくない。 今回の旅は事前にほとんど全く調べていなかったので、とりあえずいちばん有名なアレクサンドル大聖堂に向かう。教会の周りは大きな公園になっていて、そこにたくさんの露天がある。東欧はロシアの影響もあり、マトリョーシカが売られていた。どことなく、アジアの人形に似ている。 そしてアレクサンドル・ネフスキー大聖堂に到着した。 この教会は、ロシア兵を称えるために作られたらしい。当時のブルガリアにとっては、トルコのほうが脅威であり、それと戦ったロシアを讃えてこの教会が完成したそうだ。 教会に入ること自体は無料だったが、写真を撮っていると、写真を撮る場合は有料だと言われた。 疲れたのでスタバで休憩! あと2回でイスタンブール、ソフィア編終了します。

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その10:ソフィアに到着!

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) 列車は順調に森の中を走っていく。この列車はソフィアが終点ではなく、さらにアナウンスもないからいつ着くのかわからない。 到着予定時刻はもう過ぎ、もしかするともう通り過ぎてしまったのかと少し慌てたが、ただ列車が遅れているだけらしく、朝十時にソフィア中央駅に到着した。 ブルガリアはEU加盟国の中では、一人あたりのGDPが最も低い国である。以前ルーマニアに入国したときは客引きに囲まれ、途上国のような体験をしたので少し警戒していた。しかし、ソフィア中央駅はとても静かであり、とてもきれいだった。 駅から中央部までは歩いて行く。腹が減ったのでなにか買おうとするが、ブルガリアレフを持っていないので、換金できるところまで我慢しないといけない。 ロシア語と同じカフェの表示。東欧を感じさせる。 ブルガリアと聞くと、日本人のほとんどはヨーグルトしかイメージにないと思う。実際にブルガリアのヨーグルト消費量は28.9 kg/年/人であり、日本の6.5kg/年/人に比べると相当多い。しかし、消費量の一位は隣のトルコであり、35 kg/年/人 だそうだ。そしてヨーグルトという名前自体もトルコ語であるらしい。 ヨーグルトしか関わりがなさそうなブルガリアだが、実は第二次世界大戦中は、日本と同じ枢軸国側であった。ただし、ナチスガ行ったユダヤ人の迫害には抵抗し、ヒトラーに呼び出された大統領は、ヒトラーに会った10日後に謎の死を遂げたという。その大統領の息子であり、当時5歳であったシメオンが大統領になるが、当然政治をしきれるわけもなく、敗戦したのもあり国外追放された。そして、70年たった2001年に、シメオンが戻り、首相になったという。 さて、ほぼ何も下調べしていなかったこともあり、中々中心部に出ることが出来ない。道を歩く人に一々聞いて、中心に向かって歩いて行く。ブルガリアの人はみんな優しい。 トラムもよく走っている。道のど真ん中で止まって人が乗り降りしている。車に轢かれそうだ。 続く・・・