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『生きがいについて』 その4

生きがいを失った際に、再度生きがいが復活するときはどのようなときか。 それは、生かされているときの責任感、使命感を感じた時である。自己自身は小さなものであったとしても、その生が何か大きなもの、例えば天や神や自然に必要とされている。そのつながりによって生かされており、それに忠実に生き抜くという使命感を感じた時に生きがいは復活する。

岸の向こうのバカデカ船

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僕が住んでいるのは、Lidingoという島で、通勤路の途中に海が見える。向こう側はストックホルムが見える。職場から歩いて帰っていると、ついさっきストックホルムを出発した大きな船が見えた。あの場所は、フィンランドやエストニア、ロシアに行く船が停泊する港で、おそらくあの船もどこか海外に行くのだろう。 国境をまたぐ船というのはそれを見ただけでロマンを感じる。あの船の中には少なくとも二カ国の人がいて、それぞれの思いで旅をしているのだろう。仕事の場合はほぼ飛行機を使うだろうから、あの中にいる人はのんびり旅行している人か、もしくは高所恐怖症で飛行機に乗れない人だけなんだろうな。 現在のストックホルムは100点満点と言っていい気候である。これ以上の過ごしやすい天気というのはあるのだろうか。Tシャツで過ごせるぐらいだが、熱すぎない。夜10時ぐらいまでは電灯がなくても明るい。 神谷美恵子の『生きがいについて』に書かれてあったことだけど、私達は 自分で生きているのではなく、人・自然・神・宇宙に生かされているのだそうだ。その裏返しとしてそのものたちに生かされていることへの責任感を感じたときに、それが生きがいだという。たしかに、この気候は僕に「生きてください」と言っているような気がする。僕はもう来年にはストックホルムにはいないけど、まだどこにいるのかはわからない。ただ、どこにいたとしても一生懸命に生きるということだけは、宣言します。

就活が流れに乗ってきた

就活ってどんどん事務作業みたいになってくる。 提出する資料は大体同じ。履歴書や職務経歴書とか。はじめは作るのにきついけど、そのうちコピペして並べ替えて修正するだけでよい。自分を見つめるのは本当につらいことだけど、それも後のほうになればだんだんと客観的になっていってるし。

就活中の憂鬱

現在就活中で、もう何個か出した。しかし、どうも身に入っていない文章であることは自分でも感じる。僕の心の何処かに「あまりこれには受かりたくない」という気持ちがあるのだろう。もちろん提出するぐらいだから、やりたいことではあるのだけど、もし受かって仕事を始めると同時に「こうじゃないよなー」と思うことが目に見えてわかる。 それでは自分は何がしたいのか。それがはっきりとしない。これは逃げなのかもしれないが。

アイルランドからイギリスまで その1:飛行機がキャンセルになる

欧州を陸路をつなぐ旅、最新作はアイルランドの首都ダブリンからイギリスの首都、ロンドンまで。 ちなみに今までの旅はここでまとめようとしています。 https://sites.google.com/view/masakazu-travel/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%88%A5/%E9%99%B8%E8%B7%AF%E3%81%A7%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%82%92%E7%B9%8B%E3%81%90?authuser=0 今回の旅は、最初からうまく行かなかった。 夕方にストックホルムの空港に行き、ダブリンに向かう予定だった。しかし、出発予定時刻になっても一向に搭乗の様子はない。ただただ予定時刻がどんどん変更し、最終的には「飛行機はキャンセルになった」という連絡があった。どうやら空港自体のシステムになにか問題があり、その日の便はほぼ全てがキャンセルになったらしい。なんとか次の日の朝の便に変更してもらうが、ホテル等を取ることができなかったので、空港にある硬い平らなところでその日は寝て過ごした。人がたくさんいたのが唯一の救いである。 そして、次の日の朝7時にダブリンに向けて出発したのであった。 続く・・・

一週間チャレンジ

今週の一週間チャレンジは 「自転車に乗る」です。 季節的にも最適。レンタルバイクもあるので。でもめんどくさくて電車になりがちなんだよね。

就活はつらいよ

現在次の職に向けて活動している。 就職活動っていうのはなかなか精神的にやられるものである 自分自身を見つめなければ ならないから。 自分の 経歴を書き出しているときにいかに自分が何もしてこなかったかを 突きつけられる。 さらに一体自分が何がしたいのかを考えなくてはならない。僕は一体何をしたいのかいまいちよくわからない。お金が稼げればいいと 少し前は割り切っていたのだがやはりやりたくないことはたくさんある。しかしやりたいということはなかなかあるものではない。

生きがいについて 生きがいを失ったときにどうすればよいか

愛するものを失ったときなど、いきる目標すなわち生きがいを失うことがことがある。そのときにどうしたらよいか。 それは、悲しみの中心となっているものから意識を少しはずすことである。人生を貫くほどの大きな目標ではないにしろ、具体的かつ短期的な目標をもつことである。例えば明日のニュースを見るとかそのような目標でも良い。そのうち時間が悲しみを癒やしてくれる。 新たな目標を設定する場合、過去とは決別するべきである。未来に何も期待できないと感じる人、つまり生きがいを失った人は、全ては過去によって決定されると思い込み、ただ過去のみを見つめ過去の思い出に没入する人だから。 今まで自分が信じていた価値観や、世間の価値観が正しいわけではない。美しい人が必ずしも人間として価値のある存在とは限らない。教養や成功や社会的地位が人間の価値を決めるものでもない。そう思うだけでも、悲しみを取り除くことができる。

土曜日の朝

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一週間のうちで一番好きな時間が土曜日の朝。一週間のすべてが土曜日の朝になればいいのにと思う。やりたいこともいっぱいあるし、やるべきこともいっぱいあるのだけど、何一つやってない。それで良いのだといいたいが、それで良くないのである。

飯を食うために生きる、それで十分ではないか

生きる目標みたいなものを最近失っていた。何のために生きるのかよくわからなくなった。いつか死ぬのだから、やりたいことをやるべきだといわれても、何がしたいのかよくわからなくなった。 しかし友人と話して、「旅行とか、おいしいもの食べればいいじゃん」と言われ、最終的には納得した。 はじめは、「人の役に立たなくてはならない」と思っていて、旅行や食べることは人生の目標にはなりえないと思っていた。実際にはそうなのかもしれないが、絶望に近い状況にあるときはなんでもいいから、目標というものを立てると気持ちが楽になる。一番簡単なのは「おいしいものを食べるために生きる」とか。 絶望に近い状況にあるとき、目の前が真っ暗になりその先に行く気が失せる。そのときに、車のヘッドライトのような大きな光がなかったとしても、スマホについてるライト程度の明かりでもあれば、ゆっくりと進むことはできる。ゆっくりと進んでいさえすれば、つまり明日まで生きると思い続けていさえすればいつか空は明るくなり遠くまで見渡せるようになる。 それでも、もし「人の役に立たなくてはならない」という感情が抜けきれないのならこう考えればよい。あなたが生きるだけでたくさんの人の役に立っていると。日常生活をしているだけでも無数の人のお世話になっている裏返しに、その人達の助けになっている。服を着れば服屋が助かるし、飯を食えば農家が助かる。 生きていれば、人だけでなく多くの生物の役にも立っている。ペットを飼っていればそう感じるのは簡単だが、ペットを飼っていなくても、人間の腸内に500兆もの微生物を飼っている。人類の人口が70億だから、その10万倍程度の生物を飼っているのだ。もし死んで焼かれればその微生物たちも死んでしまう。生きているだけで充分、世のためになっている。 絶望というのは未来への道が見えないこと。文字通り望みが絶たれること。絶望から抜け出すためには新たな望みを設定するしかない。その時に難しいことなんか考えず、それに意味があるのかも考える必要はない。食べるために生きる、それだけで充分なのだ。