喜んで自由の刑に処されよう
僕が以前友人と僕が感じている苦しみというのは、サルトルが言っている「自由の刑」に処されている状態だということがわかった。 自由の刑というのは以下のことである。 社会が発達して、誰でも生きられる時代が来た。その結果、何をしてもいいことになる一方、何が正しいのかは示されないし、未来にならないと何が正しいか誰にもわからない。未来になり、もし自分の選択が間違っていた時には「あなたが選んだのだから責任はあなたにある。」と責任を突き付けられる。 他の国のことはよくわからないのだけど、日本の社会はある程度政府が「これが正しい」と示すことで国民は自由の刑から逃れている。高校を卒業したらすぐに大学に入り、卒業と同時に終身雇用の会社に入る。落ち着いたら結婚し、子供を産んで家をローンで買う。一見縛られているように思えるけど、自由の刑からは逃れられる。 社会に縛られるか、自由の刑に処されるか。どちらがいいとも悪いともないけど、やっぱり僕は後者を選択することに決めた。社会に縛られるのでは、生きている意味が感じられない。たとえ僕の選択が間違って社会のお荷物になったとしても、きっとご先祖様は褒めてくださるはずだ。喜んで自由の刑に処されよう。