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人生は意志で決まる

あるラジオで、ゲストの経歴を紹介していた。そこで感じたのだけど、人生は偶然によって色々左右されるのだが、結局意志によって方向付けられているのだと思った。 例えばその人は今は芸術家なのだが、元々は事務をやっていたらしい。ただ、高校のときは美術部で、事務をやっていた時もたまたま同僚に美大出身がいて、その影響もあって美大に進んだのだという。偶然なような気もするけど、結局その人は芸術の道に進みたいという気持ちが心の中にあって、自分の道にふさわしい事象を自分で選択して取っているのだと思う。人生は、あたかも偶然に左右されているように感じるけど、それは生活の中で起きている現象の大部分を捨て、自分の意志にあっているものを選んでいるのだ。もちろん、社会というのは自分の意志のみで決めれるものではないので、右往左往するけど、もし自分の人生に意志があるのであれば、俯瞰的に見るとベクトルが見えてくる。逆に、意志がない限り、社会に翻弄され、ベクトルは全く見えてこないのではないか。 なんか、うまく言葉にできないので、これはこれで終わり。

ストックホルムも確実にクリスマスに向かっております

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ヤキウドンを作るのだ!!

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日曜日に中華食材店に行って、うどんを買ってきた。こっちのスーパーでも、大きいスーパーであればうどんは売ってるのだが、ただの細長い小麦粉のような乾麺で食べる気がしない。しかし、この中華食材店では、ちゃんと太麺のうどんが、冷凍されて売られていたのである。 もう開けた後で申し訳ない  一年ぶりのうどん。宝のような存在だが、僕の冷凍庫があまりに小さく、うどんが入らないので長期保存が出来ない。宝なのに早く消費しないというパラドックスが起きているのである。 うどんを買ってきた時に、まず思い浮かんだのは焼きうどんである。というのも、僕は以前お好み焼きソースを買ったのだが、このソースを使う機会がなく、消費してしまうために焼きうどんにしたのである。大切な日本の食料なのにこれも結局お荷物的な存在になっている。 ほぼ使ってない。  月曜の朝に、「今日の夜は焼きうどんだ!」と叫びながら家を出て、職場を出るときも「焼きうどんを作るぞ!」と張り切っていたのだが、家に近づくに連れ、気分が焼きうどんでなくなってきた。家に帰る時には、「もう麺類は絶対に口にできない。」とまで思い、結局スーパーでチキンを買って帰ったのである。 そして火曜日、昨日の気持ちにならないように、「僕は焼きうどんが大好きです。今日の夜は焼きうどんです。」と自分に言い聞かせ、なんとか家まで着き焼きうどんを作ることが出来たのである。 韓国産うどんの焼きもの。半熟卵を添えて なんか最終的には義務感というか、まるで嫌いな食べ物を自分を騙して食べているような気もしなくもなかったがとりあえず焼きうどんは完成し、僕のスタマックに入っているのである。 しかし、うどんを一年ぶりに見たのだが、麺の太さに少々驚く。世界には色んな麺があるけど、うどんのような太麺っていうのはあるのだろうか。基本的には麺は茹でやすいように細いほうがいいのだけど、なぜうどんは太いのが正しいとされているのだろうか。 ヨーロッパの麺の代表と言えばパスタである。パスタは僕らが想像するよりも遥かに形にバラエティがあるのだが、なぜ日本の麺は「そばは細麺、うどんは太麺。それ以外は認めない!」という風潮があるのだろうか。食感や見た目で形を変えることは、食に対する思いの強い日本人には可能であると思うのになぜ麺だけ保守的なんだろう。そんなこ

100分DE名著『ラッセル幸福論』:社会を幸福にする行動をとる

ラッセル幸福論の最後。正直正しく読み取れているのかよくわからないが、僕が納得したものを書いていく。 ラッセルは幸福になるには行動をするべきであると言った。その行動はどのようなものがいいのか。まず一つは、いろんなことに興味を持つこと。興味がたくさんあるのなら、たとえ一つがダメになっても他にすがることができるから。 行動は、「社会を幸福にするような行動」であるべきである。自分は社会の繋がりなしに生きることはできず、社会が不幸であれば自分は幸福になることは困難である。だから、自分のことばかり考えるのではなく、社会を幸福にするような行動をとること。そうすることによって、自分も幸福になれる。その際には他人から賞賛されることを決して望まず、その行動自体が自分を幸福にするものであるということ認識すること。自分が行っている行動は、そこまで大したものではなく、かつ利己的な行動である。見返りを決して求めてはならない。 そして行動はなるべく「困難であるが達成可能なもの」であるものが望ましい。 ということで、『ラッセル幸福論』終了。

2010年から2017年の11月

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Google photoがたまに、「この日の思い出」っていうのを作ってくる。よく見てみると、数年前の同日の写真だったことがわかり、「去年はこんなことしてたんだ」と少し楽しかった。ということで、今回は2010年から2017年の11月後半に僕は何をしていたのか写真を載せていきたい。

一年越しの味覇

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2ヶ月に一回ぐらいはストックホルムにある中華食材店で、カレールーやらカップラーメンやら大福やら買って帰る。ストックホルムには小さいながら日本食材店もあるのだけど、そこには多分日本人がいそうなので、数秒入ったことがあるだけで殆ど行ったことない。 ストックホルムに来たてのころ、この中華食材店で味覇を買おうとしたが見つからず、店員に聞いてもわからなかった。店員が裏でネットで調べると、これは中華ペーストながら日本のものだということを知った(詳細は以下の記事)。 https://amufaamo.blogspot.se/2016/10/oriental-supermarket.html そして、今日時間があったのでその中華食材店に行ったら、なんと味覇があったのである。 新品とさり気なく書かれてあるため、おそらく最近入荷したものだろう。きっと一年前に僕が尋ねたお姉さんが注文してくれたに違いない。一年かかったけど、買えるだけでもありがとう。謝謝小姐である。 これで僕の食生活も少しは華やかになりそうである。この写真を見ると、隣の柚子胡椒も買っとけばよかった。

[IS]オーロラを見に行く2:ひたすら氷河へ

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この旅は ウェブサイト にまとめてあります。 前日の夜にアイスランドに到着したときは大雨でオーロラどころではなかったが、次のはなんとか雨は降っていない。 僕はアイスランドの観光に関してはほとんど調べていないので、朝に友人とどこに行くか話し合い、ヨークルスアゥルロゥンという湖に行くことになった。何回聞いても覚えられそうにない名前である。ここは氷河が流れ、アザラシが泳いでいる湖らしい。9月のアイスランドは寒いとは言っても、雪がふるほどではないので本当に氷河があるのか疑問ではあったが、かと言って他に行くところがわからないのでそこに向かうことになった。 レイキャビクからその湖は車で6時間ほど。普通であれば1泊2日程度で行くところなのだが、僕達にはその時間はないので日帰りで強行することになった。どちらも海外での車の運転は初めて、さらに天候は安定せず疲れる運転となった。 途中、ガソリンスタンドで珈琲とパンを買う。アイスランドは僕が今まで行った国の中で最も物価が高く、珈琲とパンだけで800円ほどした。 レイキャビクを出て少しするととんでもない絶景になるが、永遠に同じような景色で流石に飽きてくる。アイスランドは日本と同じ火山の島であるが、島自体が新しく肥沃な大地ではない。さらに寒冷な天候であり、木があまり生えないのである。野菜等もほとんどは輸入に頼らざるを得ず、EUであるとは言え、輸送費がかかるため貧弱な野菜を高額で買わないとならない。アイスランドは「世界一幸福な国」とされ、さらに自然エネルギーだけで電気を賄っているため、日本ではときどきアイスランドを見習えと言う輩がいるが、環境が全く違うため、見習ったとしても真似ることは絶対にできないだろう。 運転を交代しながら、なんとか氷河湖に着いた。最初は心配していたが、たしかにたくさんの氷が湖に溜まっていた。この湖は小さな川で海とつながっており、海から氷河がゆっくりと湖に入っていき、溜まっていくのである。よく見るとアザラシも顔を出して泳いでおり、氷よりもアザラシのほうがテンションが上ったと友人が言っていた。この氷河の間をぬって進むボートツアーもあるのだが、また5時間かけて戻らないといけないので乗らなかった。 この湖の向かい側の浜は、ダイヤモンドビーチと呼ばれており、氷がビーチに転がって