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ちょっと北へ その1:Manses Designというレストランへ

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スウェーデン 在住の日本人あつあつさんが、これまた スウェーデン 在住の日本人ろっぴすさんの所に行こうと誘ってくれたので行ってきた。 今までさんざん スウェーデン 国外には行っていたけど、国内にはほとんど廻ったことがないからありがたい。 スウェーデン の他の町って、1人だと本当に寂しいんだよね。 ストックホルム 中央駅から高速電車に乗る。新幹線に比べかなりのオールドファッションな車体だけど、これでも200km/時はでてるのね。 ストックホルム から二時間でセーデルハムン(Soderhamn)に到着し、ろっぴすさんに連れられこちらのレストランへ。   学校を改築したレストランらしいんだけど、いかにも スウェーデン らしいおしゃれなところだった。こういうレストラン、やってみたい。金もノウハウもないけど。 僕が注文したのはエビサンド(違うか?)   写真がちょっと悪いけど、実際はかなりいっぱいエビあります。よくこういうエビがたんまりのったオープンサンド見るんだけど、僕の基本的に、牛>豚>鶏>魚介>野菜と、インド人ばりの カースト 制度がはっきりしてるので、今まで頼んだことはなかった。食べてみると想像を遥かに超えておいしかった。僕の中で魚介の序列が少し変わったが、それでも肉類を抜かすことは永遠にないであろう。 とくに、右においてあるマヨネーズのようなものがおいしい。僕は元マヨラーで、とりあえずマヨネーズがあれば文句は言わない性格だったんだけど、一人暮らしをしてほとんどマヨネーズを使わなくなってしまった。今回食べたのって本当にただのマヨネーズなのだろうか。 食事を終え、今日はろっぴすさんのゲストハウスに宿泊。最近 村上春樹 のノンフィクションを読んでいるからかもしれないけど、こういうところに3ヶ月ぐらい引きこもって小説でも書きたい。

自己流カルボナーラ

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一週間チャレンジで自炊をすると決めたので、今日はカルボナーラを作った。 使うパスタはブッカチー二。ストローみたいに中が空洞になってます。この麺をまずは茹でる。 その間にニンニク、ベーコン、エビをオリーブオイルで焼いていく。 次はソース。卵黄4つにパルメザンチーズと胡椒をまぜる。生卵感が余り好きじゃないのでチーズ多め。 茹でたパスタとベーコン等を混ぜて、ちょっと冷ます。じゃないと卵黄が固まって変になる。 ソースとパスタを絡める。ボールでね。 デーン。 なんか写真だけ見ると焼きうどんみたいだな。

1週間チャレンジ(180402-)

自分自身一週間チャレンジを忘れてしまいそうですが、なんとかブログだけには書いていきます。 今週の一週間チャレンジは「自炊する」です。 週に5日達成すればよいので、5日間は自炊します。 結構きついんだよなー。

地名は統一しよう

いろんなところに行って、地名の名前は言語によって変化することがわかった。。 例えばイタリアのミラノは英語ではミラン。これはまだ可愛い方だがフィレンツェは英語ではフローレンスと、初めて聴くとどこのことだかわからない。 もっと悪いのは大聖堂があるドイツのケルン。ドイツ語ではKolnなんだけど英語ではCologneと頭文字までが変わってる。僕はケルンに行きたくて英語のガイドブックを見ていたのだけど一向に見つからない索引でKの箇所を探しても全く見つからなかった。 そういえばドイツも英語ではGermany。もはや原型をとどめていない。イギリスとドイツは距離も近く、言語も同じグループなのにこんなに違うのはどういうことなんだ。 我らが日本も英語ではJAPAN。定着しすぎて誰も疑問に思ってないけど、誰か「JapanじゃなくてNipponに改めよ。」という人はいないのだろうか。以前日本の神とGodは違うから神はKamiと訳せというグループがいたのだからそういう人が出てきてもいいではないか。ちなみに日本は中国語ではリーベン、ロシア語ではイポン、アラビア語ではヤーパンとなかなか好き放題されている。 スイスの最大都市、チューリッヒは英語ではズリック。ただし、スイスの公用語はフランス語、イタリア語、ドイツ語で、ドイツ語の場合はチューリッヒだがフランス語ではズリック(少なくとも僕はそう聞こえた)ので、どちらも正しいことになる。 一般的には、英語よりも日本語の方が現地語に忠実である。中国語はほぼすべてのものを中国語に訳そうと努力してるけど、これは中国語が世界言語であるという思想の表れである。 英語が通じない時でも、とにかく歩いてくる人に片っ端に地名を連呼すれば教えてくれるから地名はなるべく一つの名前で固めてほしい。GoogleMapでもたまに無理やり英語に訳すことがあるから分かりにくいんだよね。

落ち込んだときは体を動かす。

休みで孤独感が増し、気持ちが落ち込んでいた。外に出て散歩するとだいぶマシになった気がする。僕は(おそらく人間全体は)感がれば考えるほど、下の方に沈んでいく傾向にあるらしい。カウンセラーの友人に聞いたら、うつ病の人はどんなことでも、無理やりにでも悪い方向に持っていく思考になっているらしい。 恐怖感というのは生物が生きていく中で大切なことなんだけど、恐怖感のせいで生活に支障をきたし、さらに命まで落としてしまうと本末転倒である。他の動物がうつ病にならないのは、何か行動を起こさないと死んでしまうからじゃないかな。人間の場合、特に家族がいれば引きこもっても死ぬことはほとんどない。そのせいで元に戻れなくなるくらい落ち込んでしまうんじゃないかと思う。 僕の頭では考えたところで何も変わらないから、キッチンの掃除でもいいから何か行動をするべきなんだ。

恐怖感を紛らわすために

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現在襲われている恐怖感や孤独感をどうにか取り除けないかと、椎名誠の本を買った。僕は作家の中で彼が1番好きで毎週のように図書館で借りていた。彼は200冊以上本を出していて、古い本も面白く安いのだが新刊を買ったのは初めて。千六百円はちょっと高い気がする。 彼自身、僕が今襲われてるような恐怖感以上のものに襲われていて、長い間不眠症に悩まされている。彼だけでなく、辛くなるのはほとんどの人が体験する。さらに、他人の辛さを感じることはできない。だからいかに自分が不幸かを人に伝えるのはやってはいけない行為である。でも、やっぱりそういう話を聞いてくれる人がいるのといないのではだいぶ気持ちが違うよなぁ。 できれば僕の中の椎名誠みたいに、誰かの精神安定剤となるような存在に僕はなりたいな。

孤独と恐怖

最近、酷い孤独と恐怖に襲われる。 例えば夜中の二時頃に恐怖によって目をさます。周りを見ても静かな暗い部屋しか無い。 こういう時に誰か隣に寝ていてくれたら、せめて同じ家に誰かいたら、と思う。人は1人では生きていけないとよく言うけれど、そのとおりですね。

居心地がよくなったら終わり

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春分の日をすぎ、サマータイムになって確実に日が長くなってきた。ついこの間までは午後4時には真っ暗になっていたにもかかわらず、現在は午後7時でもまだ明るい。 気温は未だ東京の真冬と同じぐらいの気温だが、今を春と言わないと、夏が来ないまま秋を迎えてしまうことになる可能性があるので、無理やりにも春と断定してしまわないといけない。 スウェーデンで春を迎えるのはこれが二回目。この環境に慣れてきたと感じると同時に、自分に嫌気がさしている。スウェーデンは(実は日本も)、僕にとってはOne of themの一つである。今の状況を特別視するわけではなく、僕の人生の通過点のうちのひとつにすぎない。それなのにこの状況が居心地よく、できればこのまま安定したいと感じるのは、よくない。僕は藍を使って、誰よりも青い青を作るのではなく、様々な色を混ぜて今までにこの世になかった色を作りたい。 しかしそのためには、孤独でなくてはならない。自分に相当の能力が無くてはならない。 安定したいという悪魔と変化したいという悪魔の戦い。どちらが正義なのかはわからない。

味気ある生活を

色々便利なものが出てきて、時短されるんだけど楽しいかどうかはまた別なんだなと最近思っている。ヒトはモノそのものに対して価値を見出すのではなく、そのモノを使った体験に価値を見出すからだろう。 例えばコーヒーを作る場合。 ドルチェグストのカプセルをはめて、ボタンを一つ押せばコーヒーができる。だけども、コーヒーを飲むという行為は、豆を挽き、お湯を沸かしてぽたぽたと落ちるコーヒーのしずくを見ることを含めてコーヒーを飲むということだから、面倒な作業を省いてはいけない気がする。 味気ないという言葉があるけど、その意味でいう”味気”は結構大事なんだろう。 ただ、ある行為に他人が入ると状況は変わる。一番よい例は仕事で、いくら手書きが好きだからと言ってパソコンを使わずに文書を作る行為は許されない。だからこそ、自分だけで楽しめるもの、これを趣味と呼ぶのだろうか、は自分だけの価値観で固めたいですよね。

サマータイム!

3月25日から、スウェーデンは1時間が早まりました。日本に1時間近づきましたね。でも、時差が8時間から7時間になった所でほとんど意味はありませんが。 僕は北の方にいて(あとでまた琴のことも書きます。)、Wifiのつながらない所にいたので、ケータイの時間は変わらないかと思ってましたが、自動的に変わってたみたいです。スマホやパソコンの時計だけを使ってる人はサマータイムになったことすら気づかないこともありそう。 こう考えてみると、人間はいかに時間にコントロールされてるかわかりますね。1時間ずれても、何も問題なく社会も1時間ずれて動いていくのです。 宇宙人が地球上のすべての時計を狂わせると、結構すぐに人類は滅亡できますよ。どんどん時計がネットにつながっていくから、簡単にできるようになりそう。 人類が文明を飼ってるのか、文明が人類を飼ってるのかよくわからなくなってきますね。