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[DE→PL]寒波の中 その1:ハンブルグへ到着

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欧州を陸路でつなぐ旅、2018年がスタートした。今回はドイツのハンブルグからポーランドのワルシャワまで。 まず、土曜日の早朝にストックホルムからハンブルグへ向かう。朝4時に起き、アーランダ空港に7時に到着した。搭乗まではスムーズに行き、乗客も少なく快適な旅になりそうだ。僕の席は、窓のない一番後ろの席だったが、愛想のいいCAが、窓のある席に移ってもよいと言ったので、前の方の席に座った。ここまでは順調だったのだが、搭乗が済んでも一向に出発する気配がない。30分後、機械のトラブルで出発が遅れると機内アナウンスが入った。今回の旅では、ハンブルグ空港へ到着してから一時間後に、ベルリンに向かうバスを予約してある。CAにいつ出発するのか聞くと、「もう問題は解決したからすぐ飛ぶよ」と言っていた。こういう時は、たいてい海外の人はポジティブな返答をするが、どうしても言葉は信用できない。案の定、一時間遅れで飛行機は離陸した。もしかすると、飛行機の速度をあげて、到着時間が早くなるのではと期待したが、そんなことはなく、ちょうど一時間遅れでハンブルグ空港に到着。この時点でバスはもう出発している。 格安航空会社は料金は安いのだが、機内サービスがほぼなく、飛行機が遅れる傾向がある。短いフライトなので機内サービスは全く必要ないのだが、飛行機が遅れると今回のように、無駄な出費をしてしまうことがあるので、必ずしも格安航空券が安いわけではないのである。「安物買いの銭失い」という言葉がぴったりである。 なぜ格安航空会社の飛行機が遅れる傾向にあるのかというと、到着してから次のフライトまでの時間が極端に短いからである。僕が乗った飛行機だと、飛行機が到着し、乗客が下りるとすぐに次の乗客を乗せ、離陸する。つまり前の便が一時間遅れると、次の便も一時間遅れで出発することになる。一日に何回も飛行しているので、遅れる可能性が高くなるのである。 ハンブルグ空港からメトロで中央駅まで向かう。ハンブルグには、ちょうど去年の今頃、コペンハーゲンから行ったことがある。街は無機質で暗いイメージだが、僕の中でハンブルグの印象がいいのは、食べ物が安くておいしいからである。ドイツ名物のソーセージもそうだが、移民が多いからなのか、5ユーロ程度でおいしいアジア料理などが食べることができる。今回も、中央駅でテイクアウトでチキンカレーを買った

[NP]フィヨルドの王道1:ベルゲンに向かう

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新たな旅の始まり。と言っても過去のお話ですが。 ひょんなことから、日本の友人と連絡を取るようになった。日本にいたときはそこまで連絡は取ってなかったのだが、僕と同様の悩みを抱えていることから、連絡を頻繁に取るようになったのである。そのうち、僕が冗談半分に「スウェーデンにおいでよ。」というと、その友人は案外本気になり、僕と共通の友人を誘ってスウェーデンに来るという話になった。結果的には、その友人以外すべての人はキャンセルしたため、その友人のみが来ることになったのである。 誘ったはいいが、スウェーデンだけ滞在するのはもったいない。かと言ってフランスやイタリアに行くのであればわざわざスウェーデンに来る意味は無いと思った。そこで、北欧旅行の一丁目一番地となるフィヨルドを見る旅を計画したのである。本当は数人が来るのであれば僕は行かなくてもいいかなと思ったが、その友人だけになったので僕も休んで一緒にいくことになったのである。 まずは、スウェーデンのストックホルムから、フィヨルドの玄関口となるノルウェーのベルゲンに向かう。ちょうど金曜日の夜にストックホルムを出発する格安航空券があったので、それを買った。ノルウェーはEUではないのだが、ストックホルムから出国する際はパスポートチェックがなかった。定刻通りに離陸し、定刻通りにベルゲンに到着した。ベルゲン空港は大変きれいな空港である。そこからトラムを使って街の中心に向かう。 ベルゲン空港のトイレ

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その10:さようなら、バルト三国

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(今回の旅は ウェブサイト にまとめてあります) 午前7時、さすがに外国まで来てマクドナルドでじっとしているわけにはいかないので、雨が止んだのを確認してヴィリニュスの街に出る。 タリン、リガは旧市街が世界遺産になっているのだが、ヴィリニュスはそうではないのでいささか迫力がない。さらに僕は旅の後半になると、調べが甘く今回の旅自体ほとんど何の下調べをしてこなかったせいで、ヴィリニュスがどこの位置にあるかもよくわからない。 とりあえず、大きな教会に行けば僕としては満足なのでヴィリニュス大聖堂に向かう。 ヴィリニュス大聖堂 エストニア、ラトビアは比較的宗教色が弱いが、リトアニアはローマ・カトリックが人口の殆どをしめているらしい。ということで、大聖堂もこれまでの国に比べてとても立派であった。 日曜日ということもあって、雨にも関わらず多くの人がミサのために教会に来ていた。じゃまにならないようにあまり写真は撮らないでいた。 教会に行き、いよいよやることがなくなってしまった。博物館などが開く前には空港にいなくてはならないため、やることといったら朝飯を食うぐらいしかない。街には人がほぼおらず、店も空いてなかったがほぼ唯一開いていたホテルの朝食バイキングを、宿泊者に紛れて食べた。もちろん有料。 ここで時間を潰して、あとは電車で空港に行くのみ。出発の1時間前から電車は到着しており、ひたすら電車の中で待つ。電車が動き、少しだけ走ってすぐに止まる。どうやら空港は街のすぐ近くであったらしい。 リトアニアのバスは有線 今回のバルト三国の旅、下調べをほぼせずに、しかもあまりに早周りだったため、ほぼ何もしなかった。こういう旅をして一体何の意味があるのかわからないが、僕は陸路でヨーロッパを繋ぐという、誰にも言われていない使命があるのである。いつかまた落ち着いたらゆっくり周りたいな。 旅の記念として、その土地のコインを最低1つ取っていくことにしている。今回はすべて1ユーロが揃った。バルト三国にユーロが導入されたのは2011年と非常に最近。小国であまり出回らないため、3つとも手にいれたのはうれしい。 ということで、今回の旅は終了。だけど、また次の旅がすぐ始まりますよ〜。誰も見ていないこのブログだけど、自己満

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その9:ヴィリニュスでただ寝る

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(今回の旅は ウェブサイト にまとめてあります) バスは何も言わずにバス停に停まり、数人が降りた。アナウンスがなかったが、どうやらヴィリニュスについたらしい。時刻は深夜二時。予定よりも早めに着いたらしい。バスは乗客が少なく快適だったので、もう少し遅れてもよかったと思う。 ここから街に出て、深夜でも営業している店でダラダラしようと思ったが、面倒になってしまった。中央駅が深夜でも開いており、その中のベンチに数人が寝ていたので僕もそのベンチの1つで横になった。わざわざヴィリニュスまで来て、駅で寝ているのはどうかと思うがもう街まで行く体力はなかった。 ヴィリニュス中央駅のトイレは照明が青い。これは子供を表すマーク 午前6時になり、外が明るくなった。流石に寝てばかりはいられないと、外に出てみると雨が降っていた。向こう側にマクドナルドのMの看板が見え、明かりがついていたので何も考えずにそこに向かい、珈琲を注文する。まだまだヴィリニュス観光はしない。

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その8:さっさとヴィリニュスへ

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(今回の旅は ウェブサイト にまとめてあります) リガの滞在時間はわずか5時間。しかも夕方に着き夜に出発するので特にやることはない。レストランで食事をした後はリガの街を歩く。 スリーブラザーズ リガはタリンと比べて、異国な雰囲気はないが、街全体が静かだった。土曜の夜にも関わらず人が少ない。スーパーに立ち寄ると、関西のおばちゃん3人組がいて、ぺちゃくちゃ喋っていた。そこに、現地の若い男性がそのおばちゃんに日本語で声をかけていた。その男性は日本の大学にいたそうだ。おばちゃんはその男性と話し、買い物をしてレジに並んでいた。おばちゃんは、レジの手際が悪いと常に文句を言っていた。平日の何もない時に、わざわざリガまで旅行に来るこのおばちゃん集団はいったい何なんだろうか。話しかけようと思ったが、やめて静かにおばちゃんの会話を聞いていた。 街をブラブラしていると、ついに雨が降ってきた。リガに来るバスの途中、何度も雨が降っていたので心配だったがその雨が追いついてきたのだろうか。 もちろん僕はカサなど持っていないので、近くのカフェでコーヒーを飲みながらバスの出発時刻になるまでひたすら待った。 カフェの店員は二人いて、二人共女性であった。ラトビアは女性の方が男性よりも多いらしく、金髪白人好きの男性にとっては天国のような国であるらしい。現時点であまりものの僕も、是非もらっていただけるのであればもらっていただきたいものである。 コーヒーを毎分1mlの遅さで飲み、バスに乗る時刻になった。これからバルト三国最後の国、リトアニアのヴィリニュスへ行く。バス会社はタリンからリガへの道のりに乗ったエコラインである。 席は前回と同じく3番。一番前である。このバスはモニターがついているのだが、一番前の席はモニターがない。 ところがこの日は、乗客が少なかったらしく僕は7番の席になったうえ、1人2席使えるというのだ。バスに乗ってみると、僕の横だけでなく、前後も人がいなかった。席を倒し放題である。深夜バスというのは、乗ってる乗客の人数によって快適さが変わるのでこれはありがたい。しかし、ヴィリニュスには午前2時にはついてしまうのでちょっと残念である。 バスは順調に走り、午前二時には殺風景なヴィリニュスのバス停に到着した。 (続く)

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その6:リガで大きなパンに出会う

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(今回の旅は ウェブサイト にまとめてあります) バスに到着したのは、リガの市場の前だった。夕方5時でありもう締まりかかっていたがとりあえず何が売られているのか少しだけ見る。 小さなパン屋があって、そこに大きなパンがあった。今までヨーロッパでは見たことがなかったのだが、この形の大きなパンは、僕が10年以上前に中央アジアに行った時によく見かけたパンとそっくりであった。殆どの人は何も思わず通り過ぎそうな光景だったけど、僕にとっては少し思い出のある光景だった。 これから夕飯を食べるのだけど、嬉しくてこのパンを1つ買った。

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その5:バスでリガへ進む

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風邪引いてるので少しだけ書きます。 タリンの滞在はわずか3時間。街から少し離れたバスターミナルへ歩いて向かう。以前アイスランドで飛行機に乗り遅れた苦い経験があるので、なるべく早めに向かう。 1時間ほど待ってリガ行きのバスに乗る。 このバスは飛行機のように席の後ろ側にモニターが付いていて、映画などが見れるのだが、僕の席は一番前だったのでモニターなし。ひたすら窓を見ていた。隣りに座ったのは服装も顔もスティーブ・ジョブズ そっくりなおじさんで、おそらくロシア語を喋っていた。僕のイメージだと、エストニアはロシア語を喋る人が多い分、英語を理解する人は他の北欧諸国に比べ少ない感じがした。体格にしても、特に男性は大柄で顔がでかい人が多くなった気がする。やはりスウェーデンはかなりの美形の国なのだろう。 距離的にはエストニアとスウェーデンは近いのだが、文化的にはちょっと離れている印象がする。 途中、天候がコロコロ変わり雨が降っては止んでいた。天気予報を見ていなかったが、街歩きをする僕としては雨が降ってはやることがないので、リガでは天気がいいことを祈る。 4時間ほどしてリガに到着した。なんとか晴れている。

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その4:パステルカラーの街タリン

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太っちょマルガリータ エストニアの首都、タリンは旧市街が残されており、街全体が世界遺産に登録されている。よく中世にタイムスリップしたような体験ができると、紹介されている。 スウェーデンの首都、ストックホルムにあるガムラスタン(旧市街)も同様に中世のようであるとよく紹介されており、ガムラスタンとタリンがどのように違うのかが楽しみだった。 だが、タリンの旧市街に入ると、ガムラスタンとは全く違う雰囲気であった。最も顕著な違いは、色である。ガムラスタンは基本的に建物が濃い色であるのに対し、タリンは薄いパステルカラーが基本であった。 タリンの街 こちらはストックホルムのガムラスタン 特にタリンで行きたいところは無いのだが、とりあえず丘を目指す。 丘の上には、 アレクサンドル・ネフスキー大聖堂というロシア正教会の教会がある。そこでちょっと休んで、タリンの観光は終了。早足でリガに向かう。

[FI→EE→LV→LT]バルト三国早周り その1:ヘルシンキからスタート

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さて、すぐに始まった次の旅。今回はバルト三国をまわる。ただし早周りで。 始まりはフィンランドのヘルシンキ。金曜日の夜にストックホルムのアーランダ空港からヘルシンキに飛行機で行き、そこから街に向かうバスに乗る。 途中で降り、CheapSleep Helsinkiというゲストハウスに泊まる。 これまで幾度となくゲストハウスに泊まったが、このゲストハウスが今までで一番快適であった。24ベッドという大きな部屋だが、2ベッドずつ壁で仕切られていて、寝ていて隣の人と目があうことがない。さらにベッドの横にそれぞれロッカーが置いてあり、コンセントもベッドの横にある。僕が泊まってきたゲストハウスは、Wifiこそあるもののコンセントが部屋の隅にしか無いことが多かったので、このゲストハウスは快適であった。更に今はハイシーズンじゃないのか、人も少なかった。ただし、明日は朝5時には出ないといけないので、すぐに眠った。

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その13:さよならソフィア

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) 13回も続いた今回の旅も最後。 Moma restaurantに行ったあと、帰国まで時間があったのでソフィアの街を歩く。 街はきれいだが人が少ない。 道路の向こう側に山が見える。僕が住んでいる地域はなだらかな地域なので、ああやって向こう側に山が見えるのは新鮮。僕の故郷は盆地で、360度山が見えていたので故郷を思い出す。 ブルガリアに来てヨーグルトを食べていなかったので、ヨーグルト味のアイスを。  ということで地下鉄で空港へ。さよーならー。 東欧の旅は終わりますが、またすぐ次の旅が始まりますよ〜。

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その12:ソフィアもうまいのである

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) たった0泊2日の旅なのに、ダラダラと書いてる東欧の旅。ついに残すはあと二回。 ソフィアで唯一やることだった、大聖堂にも行き、あとは飯を食うだけである。 あまり知られていないが、ブルガリアは美食の国らしい。世界三大料理のひとつであるトルコに接し、地中海にも近く、さらに食の都フランスに食材を輸入しているのだそうだ。しかも物価はとても安い。これは期待ができる。 と言ってもあまり下調べをしてこなかった。昼食の前にスタバに入り、Wifiを使って調べた結果、 Moma restaurant というところがおすすめだと言うので行ってきた。  確かにブルガリアっぽい雰囲気。  ブルガリアのコーヒーを頼んだ。トルココーヒーのようにどろどろしたコーヒーである。ゼリーのようなものがついてきた。 水がローズの香りがする。うまい。 肉料理を頼んだ。これが本当にうまい。ブルガリアはうまいのである。  ブルガリアのスパイスがついてきた。パンにつけたり肉につけたりすれば良いらしい。お土産屋にもうってあった。 次はいよいよ最終回!!!

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その11:ソフィアの中心

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) ソフィアの駅から歩いて中心部に向かう。EUの中では最貧国ではあるが、途上国のような雑然とした感じはまったくない。 今回の旅は事前にほとんど全く調べていなかったので、とりあえずいちばん有名なアレクサンドル大聖堂に向かう。教会の周りは大きな公園になっていて、そこにたくさんの露天がある。東欧はロシアの影響もあり、マトリョーシカが売られていた。どことなく、アジアの人形に似ている。 そしてアレクサンドル・ネフスキー大聖堂に到着した。 この教会は、ロシア兵を称えるために作られたらしい。当時のブルガリアにとっては、トルコのほうが脅威であり、それと戦ったロシアを讃えてこの教会が完成したそうだ。 教会に入ること自体は無料だったが、写真を撮っていると、写真を撮る場合は有料だと言われた。 疲れたのでスタバで休憩! あと2回でイスタンブール、ソフィア編終了します。

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その10:ソフィアに到着!

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) 列車は順調に森の中を走っていく。この列車はソフィアが終点ではなく、さらにアナウンスもないからいつ着くのかわからない。 到着予定時刻はもう過ぎ、もしかするともう通り過ぎてしまったのかと少し慌てたが、ただ列車が遅れているだけらしく、朝十時にソフィア中央駅に到着した。 ブルガリアはEU加盟国の中では、一人あたりのGDPが最も低い国である。以前ルーマニアに入国したときは客引きに囲まれ、途上国のような体験をしたので少し警戒していた。しかし、ソフィア中央駅はとても静かであり、とてもきれいだった。 駅から中央部までは歩いて行く。腹が減ったのでなにか買おうとするが、ブルガリアレフを持っていないので、換金できるところまで我慢しないといけない。 ロシア語と同じカフェの表示。東欧を感じさせる。 ブルガリアと聞くと、日本人のほとんどはヨーグルトしかイメージにないと思う。実際にブルガリアのヨーグルト消費量は28.9 kg/年/人であり、日本の6.5kg/年/人に比べると相当多い。しかし、消費量の一位は隣のトルコであり、35 kg/年/人 だそうだ。そしてヨーグルトという名前自体もトルコ語であるらしい。 ヨーグルトしか関わりがなさそうなブルガリアだが、実は第二次世界大戦中は、日本と同じ枢軸国側であった。ただし、ナチスガ行ったユダヤ人の迫害には抵抗し、ヒトラーに呼び出された大統領は、ヒトラーに会った10日後に謎の死を遂げたという。その大統領の息子であり、当時5歳であったシメオンが大統領になるが、当然政治をしきれるわけもなく、敗戦したのもあり国外追放された。そして、70年たった2001年に、シメオンが戻り、首相になったという。 さて、ほぼ何も下調べしていなかったこともあり、中々中心部に出ることが出来ない。道を歩く人に一々聞いて、中心に向かって歩いて行く。ブルガリアの人はみんな優しい。 トラムもよく走っている。道のど真ん中で止まって人が乗り降りしている。車に轢かれそうだ。 続く・・・

[TR→BF]ヨーロッパ東端から その9:イスタンブールからソフィアへ

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(旅は、 ウェブサイト にまとめてあります。) たった1日しかいなかったのにダラダラと書いているイスタンブール旅ですが、いよいよ脱出。 度に行くときは、航空券はもちろんのこと、途中のバス・鉄道のチケットもかならずオンラインで予約をしていく。入国の時に出国のチケットを持っていないと万が一入国を拒否されてしまう可能性があるからである。とは言え、今まで出国のチケットを見せろと要求されたことはないのだけれど。 ただし、今回のイスタンブール→ソフィア間の鉄道のチケットは取っていなかった。なぜなら、オンラインでチケットは取れなかったのである。 ということで、イスタンブールについて最初にやることは鉄道のチケットを取ることであった。中心部に着き、Marmaray Sirkeci İstasyonuという駅に向かう。カウンターに行き、ソフィア行きのチケットを買う。4人部屋か2人部屋の寝台を選べ、4人部屋を選択した。 実は鉄道が発車する駅はMarmarayではないそうだが、出発の1時間前にMarmarayからシャトルバスが出るそうだ。観光をした後、夜にもう一度Marmaryに戻ってきた。 駅には猫がいる 指定された場所に行って、念のためここがシャトルバス乗り場かと聞いた。すると、そこにいた湯婆婆に似たおばさんが、「そうだ。私もソフィア行きだ。」と言って握手してきた。このおばさんについていけば大丈夫だろう。 出発時刻になり、バスに乗る。僕は一番前の席になり、その隣はそのおばさんが座った。おばさんと運転手はとても仲が良さそうだったので、おそらくおばさんは常連なのだろう。 1時間ほど走り、郊外の駅についた。すると、隣に座っていたおばさんが、荷物を持ってくれと言うのである。よく見ると、そのおばさんはスーツケース1個に荷物がみっしりと入った大きな袋を3つ持っている。たしかにこれは1人では持てないが、おばさんが僕に優しくしてくれていた理由はこれだったのか。 おばさんの部屋に荷物を持っていき、僕が予約した席に行く。 予約したのは4人席だったが、この列車自体ほとんど人が乗っておらず、この部屋も僕しかいなかった。2人席にしなくてもよかった。寝台列車は他の人がいると寝るタイミングを合わせないといけないので、1人というのはとても快適である。