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心がずっとモヤモヤ

最近、というか2018年になってからずっとなような気がするけど、心が晴れない。その一番の理由は次の就職先が決まらないからかもしれない。一番の理想は海外で研究職だけど、そんなうまくいくはずもなく、今のところ調子がいいのは僕の理想の条件に当てはまらないものばかり。そりゃ人生うまくいかないけどさ、なんか自分自身の存在価値とか、この世に生きている意義みたいなものが揺らいでくるよね。 みんなって生きているときに何を思っているんだろう。決してみんな天職についているわけでもないだろうけど。何を目標に生きているとか、何を人生の糧にしている、何を生きがいにしているとかそういうの聞いてみたいな。でも誰にも聞けないしな。

と、とりあえず日記だけは書こう

Google keepで全てを管理する方法、もうすでに挫折してきた。せめて日記だけでも毎日書こう。 ブログも一生懸命書きますよ。

日々の生活を意識する

勝間和代さんのブログをたまに見てます。この人はあまり好きじゃなかったけど、最近高感度が高くなってきた。 彼女のブログは更新頻度が高くて、テーマは決まってなくて、一記事の文章は短い。僕が嫌いな、いわゆるブロガーと自称してる人たちのブログに比べて遥かに交換がもてる。 感心するのは、日々の生活のあらゆるものを意識していること。料理でもいかに効率的にやるかを常に考えてる。効率的にやることは心がこもってないと思ってたけど、常に意識してるとそんなこともないんだなと思った。 くだらないと思われるかもしれないけどください日々の食べ物をアップしたり(インスタバエする料理だけじゃなくて)自分の持ち物をブログにアップしたりするのはそれだけで意味のあることかもしれない。ブログだとSNSと違って他人のフィードを汚すこともないし。

悩んでる人に「やりたいことやれ」って言っちゃいけない気がする

近い将来僕は何をすればいいかわからないでいる。何人かの知り合いにどうすればいいんだろうとか聞いてみたけど、答えは返ってくるわけない。そりゃそうだよね。僕がわからないのに他人がわかるわけない。 意気込んでいる人は、間髪入れずに「やりたいことやればいいよ」っていうけど、僕は「そうだよねー」とか適当な返答をしながら、心の中で(そりゃそうだけどそういう答えほしいんじゃないんだよな)と思っていた。正論に思える答えがしっくりこないのはなぜだろうと思っていた。その理由が最近分かった気がする。 将来、人生を悩んでいる人って、自分がやりたいことがわからないから悩んでいるのだ。その人に、「やりたいことをやれ」っていうのはかなり意味なくて酷なんじゃないか。落ち込んでいる人に「がんばれ」って言っているようなもんだと思う。 だから、まずやりたいことを探させることから始めさせるべき。その人生の目的がわかればどんな困難でも耐えられる。でも、やりたいことを探すのは難しいから、とにかくできることを色々試してみるべきだと思う。コーヒーを作ったことなければ作ってみるとか、そこからやりたいことが見つかっていくような気がする。 だから、悩んでいる人、今の場合は自分自身だけど、には「やりたいことをやれ」っていうんじゃなくて、「いろいろやってみて、やりたいと思ったことをみつけていけばいいよ」って言ったほうがいい。その場合のいろいろは、どんなに小さくてもいい。例えば机の掃除をするとか、靴を買うとかそういうことでいい。

ブログを続ける意味、よく分からなくなってきた

デジタルで日記を書き始めて、あらゆるものを書くことができるのでストレスが減った。もともとブログがそういう役割を担ってたんだけど、さすがに公開となるとあまりに個人的なことを書くことはできないし。 ということで、今までブログが担っていた役割を日記が担うようになったので、あまりこのブログの意味がなくなってきた。他人に共有することがネットに公開するもののすべての目的なのに、あまり人に見られることを気にしないブログっていうのも意味ない気はする。 ここでやめてもいいけど、どうせ無料だし、投稿する際にあまりエネルギーを使わなくていいのであればまだ続けてもいいかな。 人に見られてなんぼだけど、他人に見られるブログや記事を書く人、いわゆるブロガーの人の記事って本当に気持ち悪いんだよなぁ。ああいう風にはなりたくないな。どうすればいいんだろう。いつの間にか消えるかな。

Ikigai その1

以前僕が馬鹿にしていた『Ikigai』を買ってみた。 https://www.amazon.com/Ikigai-Japanese-Secret-Long-Happy/dp/0143130722 英語版で、アメリカのアマゾンだと16ドル、日本のアマゾンだと700円なので、なぜか日本のアマゾンのほうがだいぶ安い。海外に住んでる人もKindleだと買えるのでぜひ。 今読んでる最中なのだが、読んだ文だけまとめていこうと思う。 まず、「生きがい」というのは英語では直訳できない。意訳すると、「忙しくしていることの幸せ」。つまり、死ぬまでやることがあって、空虚になっていない様。 生きがいというのは、あなたが好きで、あなたが得意で、社会の役に立って、お金をもらえる行動。そんな仕事就いてる人がどのくらいいるのかはわからないけど。 本によると、まずは基本として新しいものを常に取り入れ脳を鍛え、ストレスを軽減する必要があると書いてある。そのためには、 20分ほどの運動 スナックをやめフルーツを食べる 社会活動をしてテレビを見る時間を減らす。 子供やペットと遊ぶ。 とある。そして、常に日々の習慣に関心を向け、ポジティブに変えられるものは変えていく必要があると。 人が生きがいを感じるときは、「人生の意味」をわかっているときである。Whyがわかっているとあとは怖いものはない。例えば、「貧困をなくす」という人生の目的がある際に、どんなに困難でHowがわからないとしても絶望することはない。しかし、Whyがなくなると絶望する可能性がある。 しかし、Whyがわからなくなっても決して絶望する必要はない。それは自分が変わろうとしているサインなのである。人生の目的は自分で自由に決めれば良い。それはどんなに小さなことでもよいのである。

日本人のテーブルマナーって良いよね

今日、ランチでパスタを食べていたときに、イタリア人から「フォークの使い方うまいね」って言われた。ただ巻き付けて食べていただけなのに。 彼が言うには、あまりイタリア人にはそうやって巻き付けて食べられる人がいないらしい。こんな簡単なのができないのか? たしかに、ヨーロッパ人ってそこまでテーブルマナーにこだわらないような気がする。フォークも持ち方がおかしい人もいるし。日本人は、そもそも箸の使い方が難しいから、テーブルマナーについて語る時間が多いのかもしれない。 その次に僕が麺をすすることについて話題にした。日本人は麺をすするがヨーロッパではマナーが悪いとされると。でも、すするのは空気が鼻に抜けるからより美味しいん。日本人って食に対する意識はかなり高い。 以前、インドに行ったときにチベットの僧侶に会った。僕とその僧侶は食事に箸を使っていて、僧侶が「我々は賢いから箸を使えるんだ。インド人は馬鹿だから手を使うんだ。」と言っていた。僕はそのときインド人のとにかく僕から金を巻き上げようとする姿勢に腹を立てていたので「そうだそうだ!」と言いながら彼に握手したのを覚えている。 ただ、今はストックホルムにはサンドイッチ屋と同じぐらい寿司屋があって、みんな箸を使ってるけど、別にトレーニングしなくても使えるものなのだろうか。そうだとしたらうるさく箸の使い方を言われたあの日々はなんだったんだろう。

精神的にやばくなった

精神的にやばくなった。今までは赤点を越えなかったけど、今回は越えているような気がする。赤点を越えなければいくらでも落ち込んでいいんだけど、赤点を超えるとさすがに対策を考えないとやばい。あまり考えすぎないことが大切なのだろうか。北朝鮮がどうとか、サッカーがどうとか言ってる人たちがうらやましい。 とりあえず、あまり制限しないことにする。外食は好きなだけする。運動もする。どこか行きたいのならお金のことを(あまり)気にせずに行く。 個人的に思うのは、暑いところできれいなビーチで一日泳げば治るような気はする。でも、そんなところ僕の近くにはないしな。

日本人は生涯現役って本当か

生きがいという本の中に「日本人は生涯現役である」と書いてあった。日本人は定年を迎えた後も現役を引退したことにならないと。 果たして本当か?欧米の人は仕事の引退がそのまま人生の終わりみたいな書かれ方をしてたけど別に日本人もそんなに違わない気がする。

今やろう

僕がいけないのは、未来に〇〇したら◇◇したいと思っていることだと思う。例えば、海外に行ったらxxできるのにとか。それで今海外にいると、日本にいたらxxできるのにと思ってしまう。やりたいことはいっぱいあるけど、自分で言い訳を探して「今はできないな」と結論付けてしまう。 壁というのは常にあって、それを抜ける方法もたくさんあるのに、それを探さないからいつまでたってもできない。その気持ちを変えないといけない。

日記とは一日のメモをまとめたものである

昨日からついにデジタルで日記をつけることに決めた。アナログにこだわっていたけど、結局日記をつけないのでは意味がない。いつまで続くかわからないけど挑戦してみる。 使っているのはGoogle keep。これは、文章や写真やウェブサイトをメモできるツール。一日のメモをすべてGoogle docsに保存して、それを一日の日記とする。メモの集合が日記だとおもっているので。その一部公開できるものは、ブログに送っていきます。 僕が考える日記の役割は二つ。 1つは書くことで、精神が安定すること。嫌なことも何もかも書けばある程度客観的になれて気分がすっきりする。 もう一つはメモ的な役割。つまり読み返さないと意味がない。紙の日記は味があるけど、読み返すの結構めんどいからね。五年日記は数年前の同じ日の日記が見えるような設計になっているので、その点ではいいだろうけど、続くかわからないし。 日記ってどのくらいの人がつけてるんだろう。

自分のアイデンティティに苦しめられないために

自分のアイデンティティ、もしくは自分のプライドに苦しめられることがある。自分はこういう人間であると設定し、それにそぐわないときに苦しめられる。 プライドを捨てれば簡単なんだけど、そのプライドを捨てにくいのは他者がいるからなんだろうと思う。例をあげれば、金持ちを自負していて、高級車を自慢していた。でも借金を背負って車を手放さないといけないけど、なかなか手放せない。それは他者に見せびらかした以上、もうあとには戻れないという気持ちがあるんだと思う。 となれば、他者とのつながりはないほうが良いんじゃないか。直接会うのはまだしも、SNSで四六時中つながっているような状態はないほうが良いんじゃないかと思ってきた。 人生において、他者との付き合いって結構難しい問題だと思う。悩みの原因の全ては他者との付き合いであるし、かと言って幸福は他者がいないと成立しないとか。宇宙の名前も知らない惑星に一人住んだときに、生活に全く困らなくても苦しいのだろうか。あるいは悩みもなく過ごせるのだろうか。

アイデンティティがなくなっても自分がなくなるわけではない

今日本と海外両方で就職先を探している。日本のところは、エージェントさんが頑張ってくれているので結構いい感じ。本当にエージェントさん感謝。 海外のところはもう片っ端から出してるけどうんともすんともしない。もう無理かな。 僕の気持ちとしてはやっぱり何処か海外に住みたいなと思っている。というのは、自分の持っている国籍とは違う国に住んでいるのが自分のアイデンティティになっているような気がするから。だから、自分が日本に住むと、何処か体の一部がポッカリと取れたような感じになる。研究者というアイデンティティもなくなると、自分自身がなくなってしまう感覚になる。そうならないようにこのブログもあまり特化したことを書かないようにしてきたつもりだけど、それでも自分の心の中にはそういうのが根付いている。 でも本当はたとえ過去の自分とは変わったとしても、自分の体としては何一つ減っているわけではないということを認識しないといけない。たとえば、歌手が歌えなくなったとしてもそれは過去とは違う自分になっただけで、自分自身が死んだわけではない。そして過去の自分とは変わるのは当たり前だと思わないといけない。人間の分子は一年ですべて入れ替わるわけだけど、自分自身がなくなっているわけではない。例えば一年ぶりにあった友達を見たときに、本当は原子すべてが変わっているわけだけど見た目は何も変わっていない。過去の自分の色とは違う色になったかもしれないが、自分がなくなったわけではない。変化することは当たり前なのだ。 そう考えると、自分は一体何者なのかを考えること自体意味のないことかもしれない。定義したところで変化するわけだから。ただひたすら人のため、自分のために生きていくことで、蓄積していくしかないのかな。 多分すごく読みづらい文章になったと思う。すみません。

『生きがいについて』 その4

生きがいを失った際に、再度生きがいが復活するときはどのようなときか。 それは、生かされているときの責任感、使命感を感じた時である。自己自身は小さなものであったとしても、その生が何か大きなもの、例えば天や神や自然に必要とされている。そのつながりによって生かされており、それに忠実に生き抜くという使命感を感じた時に生きがいは復活する。

飯を食うために生きる、それで十分ではないか

生きる目標みたいなものを最近失っていた。何のために生きるのかよくわからなくなった。いつか死ぬのだから、やりたいことをやるべきだといわれても、何がしたいのかよくわからなくなった。 しかし友人と話して、「旅行とか、おいしいもの食べればいいじゃん」と言われ、最終的には納得した。 はじめは、「人の役に立たなくてはならない」と思っていて、旅行や食べることは人生の目標にはなりえないと思っていた。実際にはそうなのかもしれないが、絶望に近い状況にあるときはなんでもいいから、目標というものを立てると気持ちが楽になる。一番簡単なのは「おいしいものを食べるために生きる」とか。 絶望に近い状況にあるとき、目の前が真っ暗になりその先に行く気が失せる。そのときに、車のヘッドライトのような大きな光がなかったとしても、スマホについてるライト程度の明かりでもあれば、ゆっくりと進むことはできる。ゆっくりと進んでいさえすれば、つまり明日まで生きると思い続けていさえすればいつか空は明るくなり遠くまで見渡せるようになる。 それでも、もし「人の役に立たなくてはならない」という感情が抜けきれないのならこう考えればよい。あなたが生きるだけでたくさんの人の役に立っていると。日常生活をしているだけでも無数の人のお世話になっている裏返しに、その人達の助けになっている。服を着れば服屋が助かるし、飯を食えば農家が助かる。 生きていれば、人だけでなく多くの生物の役にも立っている。ペットを飼っていればそう感じるのは簡単だが、ペットを飼っていなくても、人間の腸内に500兆もの微生物を飼っている。人類の人口が70億だから、その10万倍程度の生物を飼っているのだ。もし死んで焼かれればその微生物たちも死んでしまう。生きているだけで充分、世のためになっている。 絶望というのは未来への道が見えないこと。文字通り望みが絶たれること。絶望から抜け出すためには新たな望みを設定するしかない。その時に難しいことなんか考えず、それに意味があるのかも考える必要はない。食べるために生きる、それだけで充分なのだ。

未来に絶望しないためには過去を捨てる

まだ考えがまとまっていないけど、いきがい感をなくすということはつまり未来において希望が持てないことではないか。その原因は、過去に固執しているからではないかと思う。例えば過去の栄光を引き合いに出して未来は必ずよくならない、もしくは過去の失敗を引き合いに出して未来は必ず暗いという結論になると、絶望してしまう気がする。 〇〇をするというときに、過去がうまく使えるのであれば使って、使えないのであれば捨てればいいんじゃないだろうか。

僕は生きてても良いと考えるには

「僕はこの世に生きるに値する」という感覚が崩れ去る出来事が何度もある。僕が死んだときに誰一人として困る人はいないのではないか、もっというと誰も気づかないのではないか。 それは言い過ぎかもしれないけれども、今の状況を考えると僕がいなくて本当に困る人っていないと思う。考えれば考えるほどそう思う。 それでも、僕は生きるに値すると考えるにはどうしたらいいか。それはもし全人類が僕を見捨てても神だけは僕を見捨てないという気持ち、もしくは誰とも繋がっていないと思っていても、大地を通じて全ての人類と繋がっているという思うしかないんじゃないかな。

生きがいを感じる上で家族は大切

"生きがいについて"という本を読んでいる。まだ読んでいる途中だけど、人間は他者から必要とされていると感じる際に生きがいを感じるのだそうだ。 その場合の"自分を必要としている他者"の中で最もわかりやすい例は家族である。自分が働くことで家族に家や食事を提供できる、もしくは小さい子が生きていけるという感覚は大きな生きがいになる。家族がいれば"自分は必要とされていない"と考えることはないから。ある程度困難なことも乗り越えていける。 逆に家族がいない場合、限界まで落ちてしまうことがある。家族がいれば幸せであるというのが真であっても、家族がいないと不幸であるというのを真にするべきではない。そのためにはどうしたらいいんだろう。

もっとお金に真剣になろう

そろそろ、お金に無頓着ではいられなくなった。お金の節約、増やすことを真剣に考えよう。 別に石原さとみがIT社長と付き合ったから目覚めたわけではないよ。

ものを買うほど物欲が増していく

今まで貧乏かつミニマリスト的な考え方があったのでものをほとんど買わなかった。しかし、ものを買うことでストレスが軽減されるんじゃないかと思い、今は何も考えずにものを買うことがしばしばある。 そうなると、ものを買うハードルが低くなり、さらにものを買うようになる。以前に比べ、あまり吟味せずにものを買い、買ったあと一度も使わないものもある。例えばカメラの三脚。自撮りしようと三脚を買ったが結局一度も使ってない。もちろん自撮りもしてない。 ずーっとスマホを持っていなかったが最近小さいスマホを買った。すると大きいスマホが欲しくなり、それならタブレットでいいじゃんということになった。しかし、タブレットで一体何をするのか。今はipad miniを持っており、それで十分ではないか。 結局、ものというものは企業が作っている以上は利益を出すためになるべく長持ちしないようになっている。スマホだと数年で買い替えなくてはならないし、バッテリーは交換できないしソフトウェアはアップデートできなくなるし。 しかも別にものなんかなくったって立派な人にはなれる。アインシュタインもダーウィンもサルトルも、スマホなんか持ってなかったわけだし。ものを買うより、今あるものでなんとかできないかと考えるほうが健全なんだろう。