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5月, 2018の投稿を表示しています

『生きがいについて』 その4

生きがいを失った際に、再度生きがいが復活するときはどのようなときか。 それは、生かされているときの責任感、使命感を感じた時である。自己自身は小さなものであったとしても、その生が何か大きなもの、例えば天や神や自然に必要とされている。そのつながりによって生かされており、それに忠実に生き抜くという使命感を感じた時に生きがいは復活する。

岸の向こうのバカデカ船

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僕が住んでいるのは、Lidingoという島で、通勤路の途中に海が見える。向こう側はストックホルムが見える。職場から歩いて帰っていると、ついさっきストックホルムを出発した大きな船が見えた。あの場所は、フィンランドやエストニア、ロシアに行く船が停泊する港で、おそらくあの船もどこか海外に行くのだろう。 国境をまたぐ船というのはそれを見ただけでロマンを感じる。あの船の中には少なくとも二カ国の人がいて、それぞれの思いで旅をしているのだろう。仕事の場合はほぼ飛行機を使うだろうから、あの中にいる人はのんびり旅行している人か、もしくは高所恐怖症で飛行機に乗れない人だけなんだろうな。 現在のストックホルムは100点満点と言っていい気候である。これ以上の過ごしやすい天気というのはあるのだろうか。Tシャツで過ごせるぐらいだが、熱すぎない。夜10時ぐらいまでは電灯がなくても明るい。 神谷美恵子の『生きがいについて』に書かれてあったことだけど、私達は 自分で生きているのではなく、人・自然・神・宇宙に生かされているのだそうだ。その裏返しとしてそのものたちに生かされていることへの責任感を感じたときに、それが生きがいだという。たしかに、この気候は僕に「生きてください」と言っているような気がする。僕はもう来年にはストックホルムにはいないけど、まだどこにいるのかはわからない。ただ、どこにいたとしても一生懸命に生きるということだけは、宣言します。

就活が流れに乗ってきた

就活ってどんどん事務作業みたいになってくる。 提出する資料は大体同じ。履歴書や職務経歴書とか。はじめは作るのにきついけど、そのうちコピペして並べ替えて修正するだけでよい。自分を見つめるのは本当につらいことだけど、それも後のほうになればだんだんと客観的になっていってるし。

就活中の憂鬱

現在就活中で、もう何個か出した。しかし、どうも身に入っていない文章であることは自分でも感じる。僕の心の何処かに「あまりこれには受かりたくない」という気持ちがあるのだろう。もちろん提出するぐらいだから、やりたいことではあるのだけど、もし受かって仕事を始めると同時に「こうじゃないよなー」と思うことが目に見えてわかる。 それでは自分は何がしたいのか。それがはっきりとしない。これは逃げなのかもしれないが。

アイルランドからイギリスまで その1:飛行機がキャンセルになる

欧州を陸路をつなぐ旅、最新作はアイルランドの首都ダブリンからイギリスの首都、ロンドンまで。 ちなみに今までの旅はここでまとめようとしています。 https://sites.google.com/view/masakazu-travel/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%88%A5/%E9%99%B8%E8%B7%AF%E3%81%A7%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%82%92%E7%B9%8B%E3%81%90?authuser=0 今回の旅は、最初からうまく行かなかった。 夕方にストックホルムの空港に行き、ダブリンに向かう予定だった。しかし、出発予定時刻になっても一向に搭乗の様子はない。ただただ予定時刻がどんどん変更し、最終的には「飛行機はキャンセルになった」という連絡があった。どうやら空港自体のシステムになにか問題があり、その日の便はほぼ全てがキャンセルになったらしい。なんとか次の日の朝の便に変更してもらうが、ホテル等を取ることができなかったので、空港にある硬い平らなところでその日は寝て過ごした。人がたくさんいたのが唯一の救いである。 そして、次の日の朝7時にダブリンに向けて出発したのであった。 続く・・・

一週間チャレンジ

今週の一週間チャレンジは 「自転車に乗る」です。 季節的にも最適。レンタルバイクもあるので。でもめんどくさくて電車になりがちなんだよね。

就活はつらいよ

現在次の職に向けて活動している。 就職活動っていうのはなかなか精神的にやられるものである 自分自身を見つめなければ ならないから。 自分の 経歴を書き出しているときにいかに自分が何もしてこなかったかを 突きつけられる。 さらに一体自分が何がしたいのかを考えなくてはならない。僕は一体何をしたいのかいまいちよくわからない。お金が稼げればいいと 少し前は割り切っていたのだがやはりやりたくないことはたくさんある。しかしやりたいということはなかなかあるものではない。

生きがいについて 生きがいを失ったときにどうすればよいか

愛するものを失ったときなど、いきる目標すなわち生きがいを失うことがことがある。そのときにどうしたらよいか。 それは、悲しみの中心となっているものから意識を少しはずすことである。人生を貫くほどの大きな目標ではないにしろ、具体的かつ短期的な目標をもつことである。例えば明日のニュースを見るとかそのような目標でも良い。そのうち時間が悲しみを癒やしてくれる。 新たな目標を設定する場合、過去とは決別するべきである。未来に何も期待できないと感じる人、つまり生きがいを失った人は、全ては過去によって決定されると思い込み、ただ過去のみを見つめ過去の思い出に没入する人だから。 今まで自分が信じていた価値観や、世間の価値観が正しいわけではない。美しい人が必ずしも人間として価値のある存在とは限らない。教養や成功や社会的地位が人間の価値を決めるものでもない。そう思うだけでも、悲しみを取り除くことができる。

土曜日の朝

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一週間のうちで一番好きな時間が土曜日の朝。一週間のすべてが土曜日の朝になればいいのにと思う。やりたいこともいっぱいあるし、やるべきこともいっぱいあるのだけど、何一つやってない。それで良いのだといいたいが、それで良くないのである。

飯を食うために生きる、それで十分ではないか

生きる目標みたいなものを最近失っていた。何のために生きるのかよくわからなくなった。いつか死ぬのだから、やりたいことをやるべきだといわれても、何がしたいのかよくわからなくなった。 しかし友人と話して、「旅行とか、おいしいもの食べればいいじゃん」と言われ、最終的には納得した。 はじめは、「人の役に立たなくてはならない」と思っていて、旅行や食べることは人生の目標にはなりえないと思っていた。実際にはそうなのかもしれないが、絶望に近い状況にあるときはなんでもいいから、目標というものを立てると気持ちが楽になる。一番簡単なのは「おいしいものを食べるために生きる」とか。 絶望に近い状況にあるとき、目の前が真っ暗になりその先に行く気が失せる。そのときに、車のヘッドライトのような大きな光がなかったとしても、スマホについてるライト程度の明かりでもあれば、ゆっくりと進むことはできる。ゆっくりと進んでいさえすれば、つまり明日まで生きると思い続けていさえすればいつか空は明るくなり遠くまで見渡せるようになる。 それでも、もし「人の役に立たなくてはならない」という感情が抜けきれないのならこう考えればよい。あなたが生きるだけでたくさんの人の役に立っていると。日常生活をしているだけでも無数の人のお世話になっている裏返しに、その人達の助けになっている。服を着れば服屋が助かるし、飯を食えば農家が助かる。 生きていれば、人だけでなく多くの生物の役にも立っている。ペットを飼っていればそう感じるのは簡単だが、ペットを飼っていなくても、人間の腸内に500兆もの微生物を飼っている。人類の人口が70億だから、その10万倍程度の生物を飼っているのだ。もし死んで焼かれればその微生物たちも死んでしまう。生きているだけで充分、世のためになっている。 絶望というのは未来への道が見えないこと。文字通り望みが絶たれること。絶望から抜け出すためには新たな望みを設定するしかない。その時に難しいことなんか考えず、それに意味があるのかも考える必要はない。食べるために生きる、それだけで充分なのだ。

未来に絶望しないためには過去を捨てる

まだ考えがまとまっていないけど、いきがい感をなくすということはつまり未来において希望が持てないことではないか。その原因は、過去に固執しているからではないかと思う。例えば過去の栄光を引き合いに出して未来は必ずよくならない、もしくは過去の失敗を引き合いに出して未来は必ず暗いという結論になると、絶望してしまう気がする。 〇〇をするというときに、過去がうまく使えるのであれば使って、使えないのであれば捨てればいいんじゃないだろうか。

僕は生きてても良いと考えるには

「僕はこの世に生きるに値する」という感覚が崩れ去る出来事が何度もある。僕が死んだときに誰一人として困る人はいないのではないか、もっというと誰も気づかないのではないか。 それは言い過ぎかもしれないけれども、今の状況を考えると僕がいなくて本当に困る人っていないと思う。考えれば考えるほどそう思う。 それでも、僕は生きるに値すると考えるにはどうしたらいいか。それはもし全人類が僕を見捨てても神だけは僕を見捨てないという気持ち、もしくは誰とも繋がっていないと思っていても、大地を通じて全ての人類と繋がっているという思うしかないんじゃないかな。

寝ちゃったよね

今日やらなくてはならない仕事があって、昨日の夜家でやろうと思ってた。とりあえず飯食って風呂に入って、ベッドに横になりながらパソコンで作業してようとしてたらいつのまにか寝ちゃったよ。 ってか、自分でもわかってることなんだけどね。いつになったらこういう自分から変われるんだろうか。

髪を切って考えた

髪を切りに行った。スウェーデンに一年半以上住んでいるが髪を切ったのはこれで四回目ぐらいだ。もともと散髪屋が好きでないのと、海外と言う事もあってなかなか躊躇してしまう。だからいつも髪を後ろで結べるぐらい長くなってようやく行くことを決意する。 今日は何故か体調が優れていなかったのだが、散髪屋で順番待ちのときに少し居眠りをすると、ちょっと元気になった。髪を切っているとなぜさっきまで落ち込んでいたんだろうかと不思議なくらい気持ちが晴れやかになった。 落ち込んだ心を建て直すには、つべこべ言わずにやりべきことをやることだ。僕は本当にズボラな性格でやるべきことを全くやらずにこれまで過ごしてきた。このブログで書けないことも山ほどあるが、書けることで言うと風呂場の電気が消えたままで買い替えていなかったり。そういう小さいことでもいいから前進しているという感覚を得られる行動が必要なんだろうな。

旅行僕の持ち物 一泊もしない場合

[ ] パスポート [ ] ID [ ] お金 [ ] 枕 [ ] Tablet [ ] 携帯電話 [ ] 変換プラグ [ ] カメラバッテリー [ ] カメラ [ ] カメラ レンズ [ ] ケーブル アイパッド用 [ ] ケーブル 携帯電話用 [ ] 歯ブラシ 歯磨き粉

Kindle unlimitedを契約した。

タイトル通り、kindle unlimitedを契約した。これは月1000円でアマゾンが指定した本が読み放題になるシステムである。 僕は以前にも契約していたが解約してしまった。理由はツイッターのつぶやきを寄せ集めたような、見た目だけ豪華で金をもらっても読むに値しない本ばかりだったから。 しかし、もう一度契約した理由はほんの種類が増えたことと、本を買おうとするときにそれがkindle Unlimitedで読めるというのがわかると買うのがもったいなくて買えなくなるという現象が起き出したから。 ただし、本を探すときにはkindle Unlimitedの中から探さないようにした。それが読み放題になってればすぐ借りればいいし、なってなければ買えばいい。本当は紙の本も自由に読みたいけど、海外にいるのでそれもなかなかできない。英語の本が読めれば本の数は劇的に増えるけど、疲れて読む気にもなれない。

生きがいを感じる上で家族は大切

"生きがいについて"という本を読んでいる。まだ読んでいる途中だけど、人間は他者から必要とされていると感じる際に生きがいを感じるのだそうだ。 その場合の"自分を必要としている他者"の中で最もわかりやすい例は家族である。自分が働くことで家族に家や食事を提供できる、もしくは小さい子が生きていけるという感覚は大きな生きがいになる。家族がいれば"自分は必要とされていない"と考えることはないから。ある程度困難なことも乗り越えていける。 逆に家族がいない場合、限界まで落ちてしまうことがある。家族がいれば幸せであるというのが真であっても、家族がいないと不幸であるというのを真にするべきではない。そのためにはどうしたらいいんだろう。

アーランダファッキュー

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土日を使ってアイルランドのダブリンに行く予定だった。土曜の午後四時発の飛行機に乗るはずがいつまで経っても飛行機が来る気配がない。出発が16:30になり:45になり17:00になり17:30になり。 そしてアナウンスが入り、飛行機がキャンセルになったらしい。どうやら空港のシステムに問題があったそうで、この日の殆どの飛行機がキャンセルもしくは大幅な遅れになった。一応先進国の一番主要な国際空港無のにこんなんでいいのかアーランダ空港。 とりあえず、インフォメーションに行けというので行く。しかしもうそこは長蛇の列。そりゃ殆どの飛行機がキャンセルしたんだからね。そんな事態なのにカウンターは2つしか空いてない。お前ら従業員全員連れてきて対応しろや。 結局僕の番が来るまで3時間待ったよ。もうこのとき午後八時。 ダブリン行きは次の日の7:00発9:00着があるのでそれに変えることに。14:00にはダブリンを出ないといけないからまさかのダブリン日帰り旅行に。 チケットをもらってチェックインすることに。ってかチケットくれるときにチェックインもしとけや! まァチェックインカウンターも長蛇の列ですよね。当然ですよね。この間、係の人が来てカードを配りこれでホテルに泊まれると行ってくれた。ってか、このカードなんでチケット発行するときにくれなかったの? もらい損ねた人もいっぱいいると思うんだけど。 さて次。  ホテルですよ。もちろん並びますよ。当然ですよね。写真がホテル予約の列です。 ってかさ、カウンター一つってなくない?オフの従業員も叩き起こして全員で対応しろや。なんか、椅子持ってきてくれたけどそういう優しさより早くホテル予約しろや。何一人に5分も十分もかかっとんねん。シャンプーの好みでも聞いとんのか。 ようやく夜11時になり、僕のばんになる。すると もうホテルが探せないのでそちらで探してくださいだって。なら僕はなんのために並んでたのさ。腹立つよ。 結局午後2時から空港にいて次の日の朝7時まで、めちゃくちゃ固くて冷たいフラットな椅子にっ横になってましたよ。他にもたくさん人がいたのが唯一の救いです。 スウェーデンは確かにIT化もキャッシュレス化も進んでるけど、効率的では全くないよ。日本のほうが遥かに効率的だよ。 でもトラブルがあっても文句も言わずに静かに待つスウェーデン人には感心するけど、なんか怖

100分DE名著 『生きがいについて』 その1

生きがいとは何かを考えていたときなので、今月の100分で名著は自分にぴったりだった。 読んだものをまとめていく。 生きがいの定義 生きがいとは人生になくてはならないもの。主観的なものであり客観的に他人が定義することが出来ない。生きがいは何かと 説明する必要はなく 、腹の底から湧き上がった喜びこそが生きがいであるといえる。 生きがいを考える導きとなる4つの問い 1.自分の存在は、何かまたは誰かのために必要であるか。 2. 自分固有 の生きていく目標は何か。あるとすればそれに忠実に生きているか。 3.人生あるいはその他から判断して。自分は生きている資格はあるか。 4.一般に人生というものは生きるのに値するものであるか。 自分固有ということは、他人に認められる必要はないということ。 人間が生きがいを感じる時 、人間が最も生きがいを感じるのは自分がしたいと思うことをと義務とが一致した時だと思われる。自己の存在目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確立しその目標に向かって全力を注いで歩いている人、言い換えれば 使命感 に生きる人ではないか。 疑問 生きがいを感じる際に他人は必要なのか? ここからは僕の疑問。アドラー心理学では、悩みは100%他者との関係から生じるものであるが、他者がいないと喜びを感じることが出来ないと言っていた。今回もよくわからないのは、生きがいとは他人に認められる必要はないと言っておきながら、問の部分で他人のために必要であるかと聞いている。 例として、自宅で熱帯魚を飼うのが自分の生きがいだと感じる人を挙げる。熱帯魚を飼うことで心から喜びを感じる際にはそれが生きがいであると定義できる。しかしそれは全く他人にとっては必要ではない。その場合には本当に生きがいと言えるのかどうか、他人を助けない場合には生きがいと呼べるのかどうかが僕にはよくわからない。

線をつなげる その9: ついに線がつながる

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次の日、ミラノを朝5時半発の電車に乗りフィレンツェに向かう。イタリアの電車は便数が豊富な上に価格が安い。 ミラノを出発して約二時間して、フィレンツェに到着した。未だ早朝なため、人がそんなに歩いていない。 フィレンツェは、昼までの滞在である。まずはウフィツィ美術館に向かった。人気な美術館のため、予約しないと入れないと言われていたので開館の30分前に並んでチケットを買うとあっさり入ることが出来た。 朝は人がいない。 ボッティチェリのビーナスの誕生。 ここはレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋。右側が『受胎告知』。 僕はこの受胎告知が日本の東京国立博物館に来た際、見に行った。その際は本当に大人気で長い列を待って遠くからこの絵を見た記憶がある。しかしこの博物館では、誰もいなかった。柵は一応あるが、触れるぐらい近くで見ることが出来る(実際はガラスがあるので絶対にさわれない)。 美術館を見て、出口を探すが中々外に出られない。係員に聞くと、何やらイタリア語で話しかけてくるので適当に相槌をうつ。すると、その係員は僕が美術館に入りたいと思っていたらしく、入り口まで連れてってくれた。親切さゆえに違うとも言うことが出来ず、結局もう一度美術館に入ることになった。そこからまた出口を探すが、出口に行くにはもう一度その人の前を通らないといけない。その人に見つからないように、ひっそりと出口を探し外に出た。 イタリア人は基本的にみんな親切だが、こちらが英語で話しかけても容赦なくイタリア語で話してくる。しかし大抵の場合はなんとなくあちらが言っていることがわかる。今回の場合は別だけど。 未だ時間があるのでフィレンツェの大聖堂に行く。中には入らない。 食事に、野菜スープを食べた。 そしてバスで、フィレンツェからローマに向かう。チューリッヒからミラノに行く際、バスが2時間以上遅れたので、遅延が心配だった。飛行機を予約しているため、遅れてしまっては困る。しかし、その心配は無用で時間ぴったりにバスは出発しローマに向かう。ローマに向かうとそのまま空港でストックホルムへ。今回の旅はこれにて終了。 僕はヨーロッパの国を陸路で周るという意味の分からないことを今している。去年の夏にローマからブカレストまで行ったが、今回の旅でストックホルムからブカレストまでの線がつ

プロジェクターと人間との戦いはいつまで続くのだろう

職場が新しいビルに移りました。会議室も最新のプロジェクターが入り、実際に会議でパソコンの画面を移すためにプロジェクターが使われました。 しかし何をやっても移りません。チャンネルを変えても、アプリをダウンロードしてもUSBを指してもどうにも動作しない。結局会議は古いビルに戻り行うことに。 思えば、常に人間はプロジェクターと戦ってる気がします。僕が大学に行きだしたのは15年ほど前ですがその頃から講義の最初は教授が四苦八苦して、挙げ句の果に事務の人を呼んでパソコンをつなげていました。学会でも、つながらない人が多くて、何も映らないまま、タイマーのベルがチーンと虚しく響くことが多々あります。 確かにプロジェクターもパソコンもいくつもの会社が独自に開発してるので統一はとれないかもしれません。確かに性能は進化してますが、果たして便利になっているのか疑問です。というのも、人間自体は進化しているわけでもなく、やってること自体も対したことないからです。黒板で書くのと紙を配るのと、パソコンの画面を移すのは、やってることは同じ。 便利になってるようで、世の中はけっこう不便になっているような気が僕はしてます。

僕のAndroidタブレットの画面

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新しくタブレット買いました。激安のAndroidです。もうipadは買わないぞ。 それを記念して、僕の今のところの待受アイコンを載せます。 一番上からGoogle検索、googleKeepのメモ、メール作成、カメラのショートカットです。使うものから順番に並べてます。 その下は時計。上の時計が見にくいので。 その下はよく使うアプリです。今思ったらgoogle Photoが2つありますね。 一番下は最もよく使うアプリです。タブレットで使うのはネット閲覧、Google map、kindleで本を読む、Youtubeです。 こうやって見るとgoogleに依存してますね。実際に僕の今までのファイルはすべてgoogle Driveに入ってるので、アカウント消えるとやばいです。このブログもGoogleのサービスだしね

線をつなげる その8: 最後の晩餐を見る

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だいぶ間が空いてしまった。前回の記事は「線をつなげる」で検索してみてください。 16:00になり、ミラノ中心部から外れた教会に向かう。ここは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある教会なのである。 最後の晩餐を見るために、ミラノに寄ったと言っても過言ではない。しかし、この最後の晩餐は予約制で、しかも人気なため僕が気づいたときにはもう予約が終わっていた。どうにか見たいと思っていたら、ある旅行会社がツアーをやっているらしく、そのツアーに参加することによって絵を見ることが出来るらしい。値段はかなり張ってしまうがしょうがない。 16時になり、10人程度が集まりツアーが始まった。その中には、日本人の男性二人もいた。年齢的には父親と成人を迎えた息子だった。話しかけようと思ったけど結局話しかけなかった。 最後の晩餐を見るには時間が厳しく決められている。ディズニーランドのあトランザクションのように、最後の晩餐にたどり着くまでに幾つかのドアがあり、時間にならないと開かない仕組みになっている。最後になってようやく本物の最後の晩餐に到着した。 本物の絵を見るまでは、絵自体がドアの横幅と同じぐらいの大きさだと思っていたが、実際の絵はそれはより遥かに大きかった。一人ひとりが、等身大ぐらいの大きさである。これまで何度も見てきた絵だが、本物を見るとやっぱり感動する。なにより「ここでレオナルド・ダ・ヴィンチが実際に描いてたんだ」という感覚は、ネットで絵を見るだけでは味わえない。 ちなみに最後の晩餐の後ろにも絵が1つ描いてあります。 さて、最後の晩餐を見て宿に戻る。まだ街を回れるぐらい明るいが、疲れたのと明日の朝が早いため、宿に戻って寝ることにする。3つベッドがあり、今のところ僕以外の客はいないと思ったが、夜九時頃に、1人男性が泊まってきた。僕はもう寝ようとして記憶があまりはっきりしないのだが、アジア系もしくは中東系の顔であったような気がする。大きな荷物を持っており、僕に飴を一個くれた。これからミラノ観光に行ってくると言い部屋を出ていった。どうやら旅慣れている人らしい。こういう人と同じ部屋だと安心だ。

くっそ天気いい

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ストックホルムは超良天気です。むしろ暑いぐらい。先月までマイナスになってたのにいきなりどうしたんだって感じ。 でもね、冬の寒さと暗さは忘れないよ。まぁ僕はもう冬にはスウェーデンにいないと思うので、いいですが。でも、何かの拍子にスウェーデンに延長することになったらどうしよう。人生はよくわからんからなぁ。 落ち着きたいという気持ちと、落ち着きたくないという葛藤が常にあります。自由を取るか安定を取るか。

過去のシグトゥーナの旅行記

一年以上前に書いたシグトゥーナの旅行記が、最近良く読まれてるよう。もしかして誰かリンクでも貼ってくれたのかな。 ちなみにその旅行記はこちらです。 https://amufaamo.blogspot.se/2017/03/blog-post_13.html?m=1 このブログ、自分の名前以外で検索 出来ないように、 わざとわかりにくいタイトルとかにしてます。でも、見てもらわなくてもよいブログって寂しいので、もしかしたら別のブログを立ち上げるかも。あくまでこのブログは僕の個人的なブログなのでね。

スケジュール管理はいまだ紙です

いろんなものが電子化する中で、スケジュール管理だけは、いまだ紙のスケジュール帳を使っています。 その理由は2つ。 1.アプリの流行り廃りが早すぎて、何度も使うアプリを変える必要があるかもしれない。 2.人間の能力と時間は変化していないのだから、スケジュール管理だけ豪華になっていっても人間はついていけない。 でも、もしいい方法があれば変えていくかも。実際に、僕が使っているスケジュール帳は重すぎて持ち運ぶのに不便なんだよね。

もっとお金に真剣になろう

そろそろ、お金に無頓着ではいられなくなった。お金の節約、増やすことを真剣に考えよう。 別に石原さとみがIT社長と付き合ったから目覚めたわけではないよ。

ドイツ人はやかましい

〇〇人という括りで物事を話すのはあまり好きじゃなかったけど、やっぱり国民性みたいなものはあると思う。その国で独自に教育をしてるんだからそれは当然なんだろうけど。 以前ドイツからストックホルムに戻る時、格安航空券をとったために乗り換え便だった。まず最初はドイツ国内で乗り換え、そこからストックホルムに戻る。つまり最初の飛行機はドイツの国内線なわけで、ほとんどの客がドイツ人だった。 その飛行機に乗り込み、しばらくすると計器が壊れて少し遅れるというアナウンスがあった。その瞬間乗客全員が大きなため息をつき、そこからみんな大声でしゃべり始めた。そのしゃべりは飛びったあとも止まず、結局飛行機が着陸するまでみんなペチャクチャ喋っていた。おかげで全てのアナウンスが聞こえなかった。 以前にストックホルムから飛び立った飛行機も同じく計器が壊れて機内で1時間ほど待たされることがあった(しかも同じ航空会社。どうなってるんだ)。しかしその時は、みんな何にもしゃべらずにただひたすら待っていた。 一般的にスウェーデン人は静かだと思う。僕が最初にストックホルムに来た時も「しずかだなー」というのが第一印象だった。僕は必要以上に大声で喋る人が苦手なのでありがたい。 こういう国民性ってやっぱり国の地理的位置が関係するのかな。 島国の日本や、ほぼ島国とも言えるスウェーデンは静かで、中国やドイツは大陸だから声もうるさくなるとか。言語的にはスウェーデン語はうるさく聞こえる言語だと思うので、言語の違いはあまり関係ない気がするけど。

一週間チャレンジ(180514-

来週の一週間チャレンジは 「家計簿をつける」です。 ほぼカードで払ってるので後から家計簿つけれると思い、今までサボってました。これから毎日つけるように頑張ります。

なんでもアプリにするのやめてもらえませんかね。

航空券やバスのチケットをオンラインで予約して、それを印刷せずにアプリでチケットをダウンロードできるようになった。とても便利なんだけど、会社ごとにアプリダウンロードしたりするのがめんどくさい。僕のipadはなんと16Gなので用事がなくなったら消さないといけないし。それなら航空券印刷したほうが、アプリダウンロードするよりも早いんjないだろうか。 ユニクロとかマクドナルドとかとかも無駄すぎる。会社側としては100%会社の宣伝ができるからやりたいんだろうけど消費者としては無駄でしょう。 ただ単に消費者が生産者に踊らされている感じがする。アプリのない社会を望みます。

落ちたっていうね

今のところ一つ履歴書出したんだけどすぐ落ちて帰ってきたよ。悲しいね。 人間は誰かに必要とされて、生きている地実感するから、こうやって丁寧だけど面と向かって「お前いらねえ」って言われるのは本当に悲しい。 以前に心理学者の人に「ニートで家族も友人もいない時に、自分は一人ではないと思うにはどうしたらいいんですか。」と聞いたことがある。その心理学者の人は「神を信じなさい」と言ったけど、確かにそれしか方法はないかも。病気を治すとか、天気になるように祈る神様は科学に代用されてきたけど、こういう精神的な支えとしての神様はまだまだ必要だな。少なくとも僕の心の中には。

僕にかまってくれる人なんていない

大学を卒業して、少しの間ニートになった。就職が決まらなかった、というより全く本気でやらなかった。やりたいことがなかったということもあるけれど、黙っていれば誰かか取ってくれるという気持ちもあった。その甘い考えは今の僕にもある。何もしなくてもなんとかなる。 しかし、何もしなくてはどうにもならないということも学んできた。黙っていても、僕を助けてくれるような人なんていない。僕はそんな魅力的な人間じゃない。残念だけど、それを受け入れないといけない。 もっといろんな人に連絡して、もっといろんなものに応募して、もっといろんなものに参加していこう。当たって砕けてもいいじゃないか。人間最後はどうせ砕けるんだから。

4g解約するか迷ってる

先月の終わりまで、僕のスマホは電話とWifiでのインターネット接続しかできなかった。しかし、ある用事があって4Gの契約をした。これで一ヶ月に2ギガまではほぼどこでもネットに接続できる。 でも、できれば今月には解約しようと思ってる。便利という鎖につながれて逆に自由でなくなっている気がするから。 実際に4Gで便利なことはたくさんある。移動中もLINEができるし、Swishと呼ばれる携帯だけで支払うシステムも使えるし、UBERも使えるし、SNSも投稿できるし。でも、本当にそれって必要なのかと聞かれれば、必要じゃない気がする。もともとそんなのなくても生きていけたわけだし。人間の体と1日の時間は変化してないわけだから、何かを手に入れるかわりに、何かを犠牲にしているわけだし。 僕自身そうなりつつあるけど、出かけても常にWifiや電源を求めている人がいる。まるで自分自身がロボットになったみたい。海外に行く時にSIMカードを買って、一時もネットに繋がっていない時がないようにしてる人がいるけど、ちょっと気持ち悪いな。 スマホもパソコンも、数年経てば使えないようになっていて、買い替えを要求される。その時にはもうスマホがないと生きていけないように洗脳されているから、買い替えなくてはならない。それって生き方としてどうなんだろう。 ただ、深く考えずにその波に乗ってけばいい気もする。僕自身が変わらなくても、世間が変わってるんだから変化しない遠いていかれる気もする。どうすればいいんだろう。とりあえず第一歩として、今月に4Gを解約してみよう。

安定して暖かくなってきた。桜も咲きました。 #sweden #stockholm

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安定して暖かくなってきた。桜も咲きました。 #sweden #stockholm

『他動力』

あまり ホリエモン は好きじゃないけど、こっちの図書館であまり借りるものがなくなったので借りてみた。正直言うと、お金を出して買うに値しない本だし、一時間かけて読む本でもない。目次だけ見れば充分 。もっと言えばタイトルだけで充分。 この本から学んだことは、「人生に目的なんてもともとないんだからやりたいことはすぐにやれ。その時にまず準備してからと考えるのではなく、本番からやれ。」ということ。

線をつなげる その7: 1日ミラノ観光

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(もうリンク貼るのめんどくさくなった・・・) さて、昼間で少し昼寝をして、ミラノの観光に出かける。ストックホルムは未だ雪が降っていたが、ミラノは晴天でTシャツでも充分な天気である。途中アイスを食べている人たちとでくわし、僕もアイスを食べる。前の人達がピスタチオ味を頼んでいたので僕もピスタチオ味を頼むことにした。  中心部に到着し、有名なアーケード街に到着した。 ここでは、ある場所でみんなが一回転していた。きっとなにかご利益があるに違いない。僕はしなかったけど。 そしてこのアーケードを抜けると大聖堂に到着 中に入るには長蛇の列で、そんな時間はなかったので入らなかった。 大聖堂を見たあとは少し遅い昼食を取る。何にするか迷ったが、流行っていそうなチェー店でピザを食べることにした。味は普通。 このあとは、ダ・ビンチの最後の晩餐を見るため教会に向かう。 続く・・・

一週間チャレンジ(180507ー

一週間チャレンジ自体、最近目標を設定しなくなってしまった。 来週は、 「前日に次の日にやることを決めておく」です。

昨日今日は桜を見るのにとてもいい気候

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ストックホルム はやっと春になった。今まで寒すぎた。 僕はいま就活中であり、日曜の午前中に 職務経歴書 とエッセイを1つ書いた。もしこの会社に落ちれば、このエッセイは全く意味のないものになる。就活って10社受けて、1社しか受からないと、9割は無駄な行動ということになる。定職につかないとこの無駄な行動を定期的にやらないといけない。僕は分野がちょくちょく変わってるので、 職務経歴書 も一筋縄ではいかないし。 本当はエッセイは土曜日に終わらそうと思っていた。しかし、あまりに天気が良くて外に出てしまった。王立公園に桜を見に行く。ここは一面に桜が植えられており、今が 満開の時 期。来週にはだいぶ散ってしまうだろう。       冬があまりに寒くて暗くて長いので、春は余計にいい気持ちになる。 こんな天気では、仕事(自分の嫌なこと)をするのがもったいないと思ってしまう。そう思ってしまう時点で、僕は大成しないのだろうなと思う。どんなに天気が良くても部屋にこもり作業する人ほど、偉大なものを作るんだろう。僕はそういう人にはなれそうにないな。

映画 『地球が壊れる前に』

地球環境の変化に警告するドキュメンタリー。主演は レオナルド・ディカプリオ 。 地球が温暖化していると、色々言ってるけど、正直言って「お前に言われても何も響かねえよ。」という感じ。 だって、ディカプリオって世界有数の金持ちでお前自信相当エネルギー使ってるだろって思う。お前自信が資産の99%をグリーンエネルギーに使うとか、バカンスに行かないとかエアコン使わないとかすればちょっとは響くけど。 募金とかでも思うけど、なんか自分の収入事情なんかなんか知らないくせに「募金しない人は非国民」みたいな人ってどうにかならんのかな。

ストックホルムはやっと春に

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やっと暖かくなった。Tシャツでも外で歩けるぐらいになった。午後9時でもまだ明るい。 春や夏の晴れた ストックホルム は本当にきれい。緑と青の コントラ ストが強い。この期間だけなら住んでも良いな。でも、今の身分ではそれではできないので、僕はここを去るのだけど。  

ものを買うほど物欲が増していく

今まで貧乏かつミニマリスト的な考え方があったのでものをほとんど買わなかった。しかし、ものを買うことでストレスが軽減されるんじゃないかと思い、今は何も考えずにものを買うことがしばしばある。 そうなると、ものを買うハードルが低くなり、さらにものを買うようになる。以前に比べ、あまり吟味せずにものを買い、買ったあと一度も使わないものもある。例えばカメラの三脚。自撮りしようと三脚を買ったが結局一度も使ってない。もちろん自撮りもしてない。 ずーっとスマホを持っていなかったが最近小さいスマホを買った。すると大きいスマホが欲しくなり、それならタブレットでいいじゃんということになった。しかし、タブレットで一体何をするのか。今はipad miniを持っており、それで十分ではないか。 結局、ものというものは企業が作っている以上は利益を出すためになるべく長持ちしないようになっている。スマホだと数年で買い替えなくてはならないし、バッテリーは交換できないしソフトウェアはアップデートできなくなるし。 しかも別にものなんかなくったって立派な人にはなれる。アインシュタインもダーウィンもサルトルも、スマホなんか持ってなかったわけだし。ものを買うより、今あるものでなんとかできないかと考えるほうが健全なんだろう。

一緒に写真撮ろうと迫ってきて写真撮ったあとに金を要求するマウス

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一緒に写真撮ろうと迫ってきて写真撮ったあとに金を要求するマウス

ショクムケイレキショ

就活のため、カフェで履歴書等を書いてる。 職務経歴書 をパソコンで変換しようとするとショクムケイレキショと、カタカナになってなんとなく悪いことをした記録みたいになる。 しかし、僕の人生はあまりに大したことないな。大したことない割に大したことある人のように思ってる自分が情けない。死ぬまで、または死んだ後に僕は一体いい人間になっているのだろうか。人間のためになっている人になっているのだろうか。

線をつなげる その6:二回目のイタリア入国

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amufaamo.blogspot.se amufaamo.blogspot.se amufaamo.blogspot.se amufaamo.blogspot.se amufaamo.blogspot.se   チューリッヒ に一泊し、次の日はイタリアの ミラノ に向かう。 ミラノ 行きのバスは朝の五時出発だが、その時間はまだ公共の 交通機関 が動かないらしく、ゲストハウスから中央駅まで一時間歩かなくてはならない。 少々迷ってもいいように、朝3時半にゲストハウスを出発した。もともと朝食付きのゲストハウスだったが、もちろんこの時間から朝食はやっていない。そのかわり、サンドイッチとリンゴとバナナを持たせてくれた。暗く肌寒い外を一時間歩き、朝4時半にバスターミナルに到着した。 すると、すぐに ミラノ 行きのバスが来た。しかし、近づいてみるとこのバスはもともと3時半に出発するバスだった。つまり1時間の遅れである。もしかすると僕が乗るバスも遅れるかもしれないと不安がよぎった。 その不安が的中した。結果的に、バスは2時間遅れて7時半に出発した。一体なんのために朝3時半にゲストハウスをでたのかわからない。この膨大な待ち時間の間に、イケメンのイタリア人が1人の女性をナンパして、途中に二人で茂みの方へ向かっていった。 バスに乗り、イタリアへ向けて出発する。スイスは終始天気が悪かったが、イタリアに行くに連れて、晴天になってきた。途中、薄っすらとではあるが雪山を見ることが出来た。   約2時間ほどして、 ミラノ に到着。中央駅ではなくハズレの駅に到着したのでそこから電車で中央駅に向かう。 ミラノ の中央駅に着き、あまりの大きさに驚いた。今までさんざんヨーロッパの駅に行ったが、おそらく最も天井の高い駅ではないだろうか。   まずはイタリアに到着した際の儀式として、 エス プレッソを飲みに行く。 香川県 の人が忠実にうどんを食べているのと同様に、イタリア人も忠実に エス プレッソを飲んでいる。僕は基本的には エス プレッソは飲まないのだが、イタリアに来たら必ず エス プレッソ「しか」飲まないようにしている。しかも一杯1ユーロ程度で、躊躇する必要もないぐらい安い。 ミラノ中央駅 に、ちょうどいいFancyなカフェのようなものがあり、そこで エス プレ

副業で月10万稼げたら文句ないよね

転職とか会社を変えることがなかなかできない、苦しいのはやっぱりお金が入らないからである。だから、いまメインの会社とは関係なく、副業で月10万稼げるのなら、もっと自由に会社を変えられるし、もっと自分のやりたいことをできるんじゃないかなと思う。 月10万、結構大変だな。大学のころのバイトでも月8万ぐらいがコンスタントにもらえる限界だったような気がする。今やっている副業みたいなものも、月6万ぐらいだし。あと月4万ぐらい稼ぐにはどうしたらいいだろう。

悩みは決して取り除けない

「人は他者とかかわらない限り生きていけない」 「悩みのすべての原因は人間関係である」 もしこの二つが真理であれば、人間は悩みを取り除くことができないように思う。悩みを除くためには、人間関係を取り除く必要があり、そしたら人間は生きていけない。