仕事とはコミュニケーションである
ポッドキャストのコクヨ野外学習センターで、AIは仕事を奪うのかについて話していた。そこで思ったのは、 仕事というのはコミュニケーションだから、AIがすべての仕事を奪うわけではない ということである。 例えば、将棋の棋士がロボットに置き換えられる事を考える。将棋の棋士は、もちろん視聴者がいるから成り立っている。その視聴者は、将棋だけを見るのではなく、その人の服装、態度、年齢、食べたものなどあらゆるものを見ているのである。そのすべてをロボットが代用しているわけではない。 もしロボットが完全に感情を持つとする。そうすると人間は見るだろうか。もし、そのロボットを人間が作っているということが前提だとするとまだ人間は興味を持つと思う。こんなすごいアルゴリズムを誰が開発したのだと思うだろう。しかし、やがてロボットがロボットを作り、アルゴリズムがアルゴリズムを作るとする。そうなるとどんどん将棋ロボットは進化をするが、そのようなロボット同士の将棋の対戦を面白く見るだろうか。将棋を見るのは、本当にその将棋の進め方を見ているのではなく、人間性を見ているのではないだろうか。ということとで、完全にロボット化された将棋は面白くなく、誰も見ないだろう。 仕事はコミュニケーションだから、煩雑な作業というのは変えることができると思うが、全部は変えることはないと思う。 #考える