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2月, 2018の投稿を表示しています

ストックホルム超寒波中

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スウェーデン情報を知るためにこのブログを見る人は殆どいないと思うけど、とりあえず今日のストックホルム情報をお伝えします。 現在、寒すぎです。 −12度ぐらいだね。目が開けられないぐらい寒い。雪も降りまくってるし。 雪も溶ける余裕もないぐらい寒い。雪を踏む度に「キュッキュッ」っていう音がする。その音のせいで背中がゾクッとして、更に寒くなる。どうにかしてほしい。 どこでもドアがあれば、干ばつで苦しんでる人たちにこの大量の水を持ち帰らせてあげたいんだけど、残念ながら出来ないですね。

ストックホルムは雪降りまくってます

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月曜日ずーっと雪降ってたよ。しかも寒い。−12度ぐらいらしい。

[ES→PU]太陽の輝く海へ その3:マドリッドの二つの美術館へ

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今回、バルセロナからリスボンに行くのにマドリッドに寄った理由は1つ。ピカソのゲルニカが見たかったからである。 芸術にほとんど興味のなかった僕でもすぐに思い浮かぶ絵画が3つある。ダ・ヴィンチのモナ・リザ、ムンクの叫び、そしてピカソのゲルニカである。最初の二つはもうすでに見たので、最後のゲルニカも見なくてはと思い、マドリッドによることにした。 ということで、まずはゲルニカがあるソフィア王妃芸術センターへ。ここは主に現代美術を扱っている美術館である。ネットの情報で、長蛇の列になるので事前にチケットを買っておいたほうがいいと書かれてあったので事前に買っていた。しかし、そのチケットの日にちを間違えてしまった。スタッフは、電話して変えてもらえれば大丈夫と言われたのだけど、電話するのもめんどくさく列もできてなかったのでめんどくさくてもう一枚チケットを買った。 この美術館は大きく、すべての作品はとても見ることが出来ない。ゲルニカを探すが、それもわからずさまよっているうちにたどり着いた。 基本的には撮影可能だが、ゲルニカ周辺は撮影禁止だった。ゲルニカを知らない人はあまりいないと思うが、思った以上に大きい。横7m、縦3mもある。素晴らしい絵である。 ソフィア王妃芸術センターの次は、プラド美術館へ。ここは古典美術が主にある。そして、夜6時以降は無料で入れる。 こちらはソフィア王妃芸術センターと対象的に長蛇の列が出来ていた。入るのに1時間ほどかかり、中に入る。ここは全面撮影禁止。朝から寝ずに動き回っているので、疲れてしばらく座っていた。     続く

どんな人生でも生きるに値する価値はある

色んな哲学者の本を見て、100人いれば100通りの考え方があることがわかった。そりゃそうか。老子が孔子と全く同じ考えなら、教科書には老子の名前は載らないわけだし。 でも、どんな哲学者でも、「生きるべきである」ということは共通している気がする。ニーチェだって末人になるのを避けるべきであると説いたのも、「生きなければならない」という前提があるから避けろと言ってるわけで、「人生は意味がない」という前提にたてば、末人になってもいいわけだし。 僕も今日同僚と話してて、今までの人生で後悔することもたくさんあるし、他の人を羨ましがることもたくさんあるけど、それでもその時の最善の判断をしたわけだから、今の人生を意味が無いと結論付ける必要はない。「どんな人生でも生きるに値する価値はある」ということを真理にすれば、どんなことをしても病気になるほど下には行かないわけだし。 ちょっと意味分からない文章だったけど、もうちょっと落ち着いてまた長い文章を書こう。

[ES→PU]太陽の輝く海へ その2:マドリッドに到着

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バルセロナからバスでマドリッドに向かう。週末を使っての旅で、貴重な土曜日の昼を使って移動するのはもったいない気もするがしょうがない。約600kmの道のりを、6時間かけて走る。 昨日の夜空港に到着して、朝まで寝ずに待機していたせいでバスの中では殆ど寝ていた。途中何回か休憩のためにバスが止まったが、トイレにも行かずにひたすらに寝ていた。たまに起きて外を見ると、そこはまっ平らな土地と青い空が見える。 僕はこれまで色々ヨーロッパを廻ってきたが、スペインはかなり好きな国だ。もしかしたら一番好きな国かもしれない。その理由は2つ。気候が明るいことと、食べ物が美味しいことである。人間はもしかすると、天気が良くて美味しいものを食べていればそれなりに幸せになるのかもしれない。そう考えると、天気が悪くて美味しいものがない冬の北欧は、幸せになるのは不適切な場所であるように思える。 マドリッドに到着し、ソフィア王妃芸術センターに行く。途中大きな公園を通った。気温は10度。帽子やマフラーはいらず、歩いていればコートも必要ないぐらいいい気候である。ヨーロッパと言っても北欧とは大違い。 公園では、夢の国から逃げ出してきたヒロインがいた。 ちなみに何体もいる。世界中で一匹しかいないはずなのに 。 公園のカフェでチュロスとココアを頼む。別に夢の国に関連させたわけではない。チュロスはスペインもしくはポルトガル発祥の食べ物であるらしい。朝から何も食べてないので美味しく食べられた。 続く・・・

ストックホルムで日本の本が借りられる図書館

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このブログ、淡々と自分のために書いてるブログですが、たまにコメントくれる方がいてくれて嬉しいです。そして、そのコメントを気づいていなかったものが多かったです。すみません。Twitterよりもブログのほうが本当につながるためにはいいような気がしますね。これからも誹謗中傷でもなんでもいいのでコメント下さい。 前回の記事でもかきましたが、心優しい方がコメントで、ストックホルムで日本の本が手に入るところがあると教えてくれました。 https://amufaamo.blogspot.se/2018/01/blog-post_31.html その場所がわかったのでシェアします。全世界に1人でも役に立てればいいな。 その場所はストックホルム市立図書館です。最も有名な図書館ですね。 最寄り駅はOdenplan駅です。 駅から歩いて2分程度、市立図書館の横にある別館が国際図書館になってます。 この建物の三階(スウェ語だと2階だけど) にあります。 一番奥に日本語コーナーがあります。Personnumberがあれば、図書館のカード作れるので、これらの本も借りられます。 でも、やっぱり日本の図書館よりも充実度は低いですね。そりゃそうか。今はKindleやKindle unlimited等があるので、結構不自由なく日本の本は読めますが、無料で、紙の本が借りられるのは魅力的です。

村上春樹『辺境・近境』

心優しい人が、このブログにストックホルムで日本の本を借りられるところを教えてくれた。本当にありがたい。詳しい場所はまたこのブログに載せます。 さて、早速借りてきた第一冊目は、村上春樹の『辺境・近境』。小説家の村上春樹が、様々な場所に旅をした話。小説じゃなくてノンフィクションです。 僕は椎名誠が圧倒的に好きだけど、その次は村上春樹。その村上春樹の旅日記なんだから、読んだことないわけない。実際に僕はこの本を日本で借りた記憶は鮮明にある。しかし、いざ改めてこの本をよむと、全く内容を覚えていない。僕は大抵の本の内容を覚えていないのだけど、読んでいくうちに、覚えているフレーズ等があって、そのうち内容まで思い出してくる。しかし、この本に関しては全くの内容を覚えていなかった。その分新鮮に読むことが出来た。 僕自身旅が好きで、今現在もヨーロッパの国をまわっているのだけど、度々「なぜ僕は旅をしているのか」を自問自答することがある。村上春樹自身もおそらくその問いが頭に浮かんできたに違いない。その度に旅自体が意味があるのだと言う発言をしている。その発言を抜粋して載せる。 1ヶ月ばかりメキシコ旅行してる間にそこで出会った何人かの人々からあなたはどうしてまたメキシコに来たんですかという質問を受けた。そしてその度に私は軽い混乱を経験することになった。僕はこれまでにいくつかの国を旅行したけれど、かくのごときある意味においては根源的と言えなくもないような問いかけをされた記憶はほとんどない。 なぜなら、僕は旅行者なので、旅行者というのは何と言ってもどこかに行くものだからだ。彼なり彼女なりがカバンをさげて切符を買ってどこかに行くからこそ、それが旅行として成立する。そしてもし旅行者が、どこかに行かなくてはならないとしたら、どうしてメキシコに行ってはいけないというのか、逆にイノセントに問い返すことだってできる。 例えば日本を旅行している外国人に向かって同じような質問をしたら、たぶんいろんな種類の答え帰ってくるだろう。つまることその答えはひとつしかない。彼は自分の目でその場所を見て、自分の鼻と口でそこの空気を吸い込んで、自分の足でその地面の上に立って自分の手でそこにあるものを触りたかったのだ。ポールセローのある小説の中で。アフリカに行ってきたアメリカ人の女の子がなぜに自分が世

何をすればいいかわからない

友人と話していて、「何をしたらいいかわからない。」という共通の悩みを持っていることがわかった。その人と僕は同い年で独身、終身雇用ではないけど今はそれなりに安定している。同じような立場に置かれている人は同じように悩んでいるのかもしれない。 僕とその友人は、かなり個人主義な仕事で、ほとんど誰とも関わることがない仕事。だから自分の意思でどうにでもなるんだが、その分疲れることもある。自由はポジティブな言葉に聞こえるけど決してそんなことはない。サルトルが言うように、「自由」というのは重く、苦しい刑なのである。「何をしてもいい」と言われるが、何をしていいかわからない。かといって何もしなくていいわけではない。真っ平らな場所に降ろされ、どこに行けば良いのかわからない状態である。 その時、目的があれば簡単だ。僕は何をするために生まれてきたのか。その答えが見つかっていればそちらに進めばいい。しかし、人生の使命を知っているものはほとんどいない。 そんな時はとにかくやりたいこと、やるべきことをやる。花に水をやったり、ろうそくをつけたり、思いついたことをやる。「一体花を飾ることになんの意味があるのだろう。」と思ったりしてはいけない。そもそも意味というのは、最初から与えられているものではなく、まず行動があり、その行動を説明するためにつけられたいいわけなのだ。だから行動していれば人生の目的も次第に分かってくるかもしれない。

[ES→PU]太陽の輝く海へ その1:バルセロナ空港へ

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ヨーロッパを陸路でつなぐ旅、今回はバルセロナからマドリッドを通ってヨーロッパの最西端の国ポルトガルへ向かう。旅の中で最も西に行くことになる。  夜7時ストックホルム発の飛行機でバルセロナ空港へ。夜11時にバルセロナ空港へ到着する予定。夜1時にバルセロナからマドリッドへ向かうバスがあるのだが、前回のドイツの旅で飛行機が遅れてしまってバスに乗れなかったため、今回は安全をとって土曜日の朝7時に出発するバスに乗ることにした。  しかし、そういう時に限って飛行機は遅れないものである。たった30分の遅れで飛行機は到着し、充分夜1時のバスに間に合う時間だった。嘆いても仕方がない。ここから朝までバルセロナ空港の中で過ごす。 あるウェブサイトによると バルセロナ空港はヨーロッパで最も寝るのに適した空港であるということだったのだが、実際はそんなことはなかった。夜中には飛行機の発着陸がなく、照明も暗くなりかなり寂しい。椅子はすべて肘掛けがついており横に眠ることができない。一つだけ24時間営業のカフェがあり、そこにまばらに人がいたので、そこで朝まで何をするでもなく、座っていた。暇というのは辛いものである。 朝5時になり、中心街に向かうバスが動き始める頃なので、空港を出てバスで中心街に行き、バスターミナルへ向かった。 凱旋門 バルセロナといえども 冬はまだまだ寒く暗い。バスターミナルでバスを待つ間、クロワッサンとコーヒーを頼んで食べた。 バスターミナル 続く!!

オリンピックとTwitch

Twitchって知ってる? 検索してもらうとわかるけど、Twitchというのはゲーム配信専用の動画配信サイトです。Youtubeとかニコニコ動画ミタイナ感じ。今Amazon傘下になってるらしいんだけど、その閲覧者がCNNを超えたらしい。ものすごい。 その動画にコメントを投稿できるらしいんだけど、それがお金を払ってコメントするらしい(間違ってるかもしれない。) まず、人のやるゲームを見ること、そしてお金を払ってコメントすることに驚き。ゲームってやるもんで見るもんじゃないでしょ。 と思ったんだけど、よく考えればスポーツ観戦も似たようなもんだよね。そう考えるとゲームを見るというのもあり得る気がする。 ただ、みんな暇になっても大したことやってないな〜。僕も含めて。

星と星座とTwitter

もうとっくの昔に終わってしまったんだけど、横浜トリエンナーレという去年あった芸術祭のテーマが「島と星座とガラパゴス」というタイトルだったらしい。 キュレーターの意図とか全く知らないんだけど、人同志が簡単に繋がりやすくなっているようで実はとても希薄になっている現代をイメージしてつけられたのかなと思った。 SNSの代表としてTwitterと、星を関連させて説明してみる。Twitterのアカウント(人)が1つの星。星は自分と似た人たちをさがして、繋がって星座を作る。そのつながりを強めるために、威勢のいいことを言って「いいね」をもらう。 でも、その星座は、自分だけが見えている見かけの線でつながれているだけ。H2Oの水素と酸素のような結合とは違う。自分だけが見えているだけだから本当はつながってなんかいない。それを証拠に、アカウントを消した所で、他の星に何の影響もない。 あたりを見渡すと、自分が特別な星だと思っていたけど、ただ宇宙にある無数にある星のうちの1つにすぎないことがわかり、より孤独感を感じてしまう。 僕は、旅好きな人とつながりたいと思って、Twitterをちょっとやったけど、すぐやめてしまった。理由はTwitterなんかやっても幸せになれないからなんだけど、他の人ってTwitterやってて幸せに感じてるんだろうか。

セムラと偽セムラと美味しさに対する視覚の重要性について

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セブンイレブンの広告にこういうのがあった。 この写真のどちらがセムラであるか。 セムラというのはスウェーデンの伝統的な菓子パンで今の時期によく食べられる。カルダモン風味のパンにクリームがたっぷり挟まっている。 この二つの違いがよくわからなかったのだが、今日同僚が両方のセムラを買ってきてくれたので、違いが明確にわかった。偽物は右側なのだが、右側はカルダモン風味のパンの代わりに、ドーナツで生クリームを挟んである。上手く言えないけど、カレーパンの外側のパンに砂糖を真っ白になるまでかけてあるようなものです。 偽物なのだけど、僕はそっちのほうが美味しく食べることができた。 何回か言ってきたけれど、美味しいかどうかを判断するのは、今までの経験によって大きく左右される。 美味しいと感じるということは、食べ物を目で見て、今まで経験してきた食べ物と照らし合わせて食べる前に味を想像し、その想像の延長線上にあるものを美味しく感じることができるのである。 だから伝統的なセムラというのは僕はあまり美味しいとは感じられない。パンがいささかパサパサしすぎている。その一方で脂っこいドーナツで挟んだ偽物のセムラは日本でも売ってあるような甘い菓子パンの延長線上であり、見た目から僕の経験の延長線上にあるものなので美味しく感じることができた。 伝統的なセムラがうまいと感じるようになったらスウェーデンに定着してきたということでしょう。

[DE→PL]寒波の中 最終回:ワルシャワへ行っただけ

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定刻にベルリンを出発し、深夜バスはポーランドのワルシャワへ向かう。途中おそらく国境でパスポートチェックがあった。係員がバスに入ってきて、一人ずつパスポートを調べる。入国拒否される理由などないので、堂々としていればいいのだけど、どうしてもこの瞬間は緊張してしまう。 パスポートチェックが終わり、再びバスの照明が消え走り始める。リクライニングを倒し、足置きをあげて底に足を置くが、なんとなく金属の板の感触がある。暗くてよくわからなかったが、朝起きてみるとそれは前の若者のMac bookだった。思い切り踏んづけなくてよかった。 ワルシャワへ到着した。雪が降っていてベルリンよりもさらに寒い。 ポーランドはもちろん初めて入国する。実はスウェーデンの隣国で、ストックホルムから船で行けるぐらいの距離なのだが、あまり他のヨーロッパ諸国に比べ印象が薄い。北欧でもなく、西欧でもない。かと言って中欧や東欧のような雰囲気でもない。EU加盟国なのだが、どことなく共産主義的なイメージもある。 ポーランドのイメージもほとんどないが、ワルシャワ自体の知識も殆どないまま来てしまった。朝の九時に到着し、昼1時にはストックホルムに向かう飛行機に乗らなくてはいけない。その少しの間で、朝食でも食べようと中央駅に向かい、外に出たが店があるような雰囲気もなく、結局なにもしないまま空港に行くことにした。 「一体あなたは何のためにワルシャワまで来たんですか」と聞かれても困る。僕はワルシャワまで来て、何もせずストックホルムに帰るのだ。「欧州を陸路で繋ぐ」という無意味に近い旅をしているせいで、無駄な移動をしているのである。次来たときはしっかりと調べてワルシャワを観光しよう。 空港に向かうため電車のチケットを買う。今回のチケットは時間が指定されており、10:05に出発する。出発する時間はわかるが、ホームがどこかわからない。出発する少し前に、スマホをいじってる女性に声をかけてどこのホームか聞いた。女性はスマホで調べてくれているようだが、その間に彼女が乗る電車が来た。時刻は10:05.もしかしてこの電車に乗るのではと思い、僕もその女性に続いて電車に乗ろうとしたが、女性はこの電車じゃないと言った。10:05に出発する電車はこの車両しかなさそうだが、彼女は自信を持ってこの電車じゃないと言い、電車のドアが

[DE→PL]寒波の中 その4:夜のベルリンをフラフラ

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イーストサイドギャラリーからまたベルリンの街に戻る。午後五時だがもう真っ暗になってしまった。年末にねん挫した足がまた痛み出し、ズキズキする。ベルリンの街は寒くて暗い。寂しくて、ダウンロードしていたポッドキャストを聞きながら歩く。 本当はペルガモン博物館という所に行こうとしたのだが、この博物館のメインである「ペルガモンの大祭壇」が改修中でみれないということで、その博物館には行かず、そのかわりにベルリン大聖堂に行った。僕はたいていの場合その土地で一番大きな教会によることにしている。その理由は単純で、街は基本的に教会を中心として作られているからである。 ベルリン大聖堂 ネットで調べたところ、教会は午後8時まで空いているはずだったが、午後5時以降はミサをする人のみが入ることができるということで中に入ることができなかった。仕方がないので次の名所であるホロコースト記念碑へ向かう。この場所は、ホロコーストで犠牲になったユダヤ人の記念碑が並べられている場所なのだが、暗くてただのコンクリートが並べられている場所という感じだった。 ホロコースト記念碑 寒い中をずっと歩いていると体が冷え、腹が減ってきた。僕はドイツを非常に暗い場所だと思っているが、良いイメージなのは食べ物が美味しいからである。しかし、ベルリンに着いてから全く何も食べていないので、ここで暖かいものでも食べようと思った。しかし、あたりを見回してもレストランが見当たらない。ここはベルリンでもかなりの中心のはずだが、食べるところがない。ようやくブンデンベルグ門の広場にパン屋を見つけたのだが、「もう閉まるからテイクアウトしか無い」と無愛想に言われ、しょうがなくパンを勝って外で食べた。 ブンデンベルグ門とかじられたパン パンを食べ次の目的地のチェックポイントチャーリーへ向かう。ここは、東西ベルリンが分断されていた時に検問所となっていた所で、今でもアメリカとソ連の国旗を持った人が立っているそうである。この場所は中心から結構歩く。痛む足を引きずりながら寒い街を歩いていった。 しばらく歩き、チェックポイントチャーリーへ到着した。そこには確かに軍服の人が立っていたが、二人ともアメリカ国旗を持っていた。観光客もおらず、寂れた感じなので、遠くから写真を撮って戻った。 チェッ

『君たちはどう生きるか』まとめ

この本、昔読んであまりピンとこなかった。今読んでもあまり面白いものではないな。 客観的に生きる。世界は自分を中心に回っているわけではない 様々なものを体験し、自分で考えよ 他人が望む行動をするのではなく、自分が望む行動をせよ どんな人間でも人間らしく生きる権利がある。 人間は誤ちを修正できる能力がある。 世間の流れを正しく推し進めていかなければならない。

研究中に出るゴミデータ

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上記の写真は研究中に撮った顕微鏡写真です。あまり詳しくは言えないけど、120%使えない写真なので載せます。 上のほうが、青いのが少なくて、下のほうが濃いですよね。 でも、本当は逆に上のほうが明るくなるはずなんです。全く反対の結果が出て、「なんにもいえねえ」って状態ですよ。まじでどうなってん。 まぁ、よくわからない写真を見せられて、よくわからないことを言われてよくわからないと思ってるでしょうが、とにかく研究ってお金がかかるんです。 家一軒建つほどのお金を使って、パソコン一台分のデータが出るんですが、実際に使うのは、写真三枚とかそんなもんです。論文も英文で六ページ程度。ほぼ99.999%はごみで、0.001%のエッセンスだけを書いて論文にする。バオバブの木から一本の爪楊枝を作るようなものです。 別にそれは悪いとは思えません。世の中も、膨大な基礎研究のエッセンスを集めてお金を稼いでいるので、結局はプラスなんだろうと思います。しかし、この基礎研究で出る膨大なゴミ(物理的なゴミ、いらない情報など)をどうにかして有意義なものに変換できないかなと思ってます。

こういう盛り上がり、やっぱ嫌いやな〜

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イーロン・マスクって知ってますか?僕は名前ぐらいしか知らないけど、とにかく超すごい経営者です。スティーブ・ジョブズなんか目じゃないくらい。 そんなイーロン・マスクが、巨大ロケットを打ち上げたそうです。 しかもロケットを打ち上げたあと、ちゃんと戻ってきて着陸するっていうね。再利用可能なのかな。 打ち上げたのはイーロン・マスクの車らしいんだけど、車に宇宙服を来た人形を載せて、車にカメラもつけてたんだけど、 ちゃんとそのカメラに地球と車が写ってる。すごいCGっぽくて、逆に驚かない。 まぁそんなことはどうでもいいんだけど、最初の動画の、「イエーーイ!!」みたいな歓声、どうしてもすきになれないわ。なんか日本もJAXAとかそういう「おっしゃー!」みたいな感じになっててやめてほしい。サッカーとかも。 相撲みたいに、勝っても静かに礼をして終わるみたいなのが好きだな。

雪の日に砂撒いてるの誰?

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寒い。でも今の日本の太平洋側もストックホルムと同じぐらい寒いっぽい。 もし、東京とストックホルムが同じ外気温なら、ストックホルムのほうが過ごしやすい。なぜならスウェーデンは元々寒い国なので、その対策がよく出来てるから。部屋の壁も厚いし、セントラルヒーティングだし。 雪が降ると、除雪車が頻繁に雪を除き、小石を撒いていく。結構隅々まで撒いていくのですごい沢山の人が関わってるんだろうなぁ。ちょっと疑問に思ったんだけど、雪の日に砂を撒いてる人は雪がない日は何してるんだろう。いくら北国と言っても、一年のうち3/4以上は雪は積もらないし、もし砂撒き専門の仕事なら結構暇だと思う。もし、普段は違う仕事をしていて、雪の日は砂撒きをしてるんなら、雪の日はかなりの現場で人手不足になるんじゃないかな。もしくは仕事前にボランティア感覚で砂を撒いてるとか。 ともかく、感謝感謝ですよ。僕は雪が降ると歩く速度が1/3ぐらいになるので、砂をまいてくれるのは本当にありがたいです。

ストックホルム大学へ

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午前中は、ストックホルム大学に出張。僕はほとんど職場以外の場所に行くことはないのでいい気分転換になった気がする。目的はある教授に会うためだったんだけど、11時に会う約束をしていたので、家を出る時間も遅くて楽だった。将来は11時出勤14時退社、もしくは家で出来るような仕事ができたらいいな。 ある教授と会って、すぐ帰る予定だったんだけど時間が長引いて、結局一緒にランチをすることになった。僕はこういうビジネスランチみたいなのが超苦手で、仕事の話をしながら食事するなんて食べた気にならないんだけどしょうがない。でも、何かしらの収穫があったと期待したい。 今回の出張で気づいたことが二点。一つは僕の英語力の低さ。一体いつになったら僕の英語は上達するんだ。伝えたいことの2割ぐらいしか話せなかった。相手の話もあんまりわからず、適当にうんうん言ってたらちょっと違う方向に行った気がする。分からないことを分からないと言えないから、英語が上達しないのかな。海外に住んで、英語で仕事をしているからと言って英語が上達するわけではないのだよね。 もう一つは、コミュニケーションの大切さ。僕の研究者のイメージは、アイザックニュートンのような孤高の天才で、他人とのコミュニケーションはほとんど必要なくてとにかく実力だけが大事だと思っていた。しかし実際はいろんな人の意見や提案を聞いたり、逆にしたりすることで研究は進んでいく。僕は他人とのコミュニケーションが苦手で研究者になったようなものなのに、コミュニケーションが必要であるとは頭を抱えてアチャーである。本当に実力主義なのって、プロ将棋師とかかな。転職すっか。

グローバリゼーションと紀元前のイスラエル王国

前に僕が言ってた、 国境をなくせばみんながハッピーになるわけではない というのは、旧約聖書のソロモン王国の分裂にちょっと似ているような気がしてきた。 ソロモンという人はイスラエル王国を強大、拡大していくんだけどその栄光によって国民が重税などによって苦しめられる。ソロモンの死後、反乱が起き、イスラエルとユダ王国に分裂するというのが旧約聖書の話。 現在でも、グローバル化により、超一部だけが権力を持ち、王のように振る舞う。その結果、99.9999%は苦しめられ、その結果反乱が起こる。 イギリスのEU離脱って結構イスラエル分裂にちょっと似てる気がする。 結局、国境なんて絶対に消えないんだろうな。

研究がうまくいかない

いやはや研究がうまくいかない。今までできていたものさえ、できなくなっている。最初はなぜできなかったのかを考えるようになるが、あまりにできないと逆になぜ今までできていたのか不思議になる。すっぱり諦めてしまいたい。 アドラー心理学には、人間は1つのコミュニティしか属していない人はいないのだから、そのコミュニティに追い出されても問題ないと書いてある。だから、自分のやりたいことをやる勇気を持てと。 でも僕は今の職場のコミュニティ以外のコミュニティに所属してるんだろうか。例えば僕が死んだときには僕の職場の人間以外が気づくことはあるんだろうか。少なくとも、給料をもらってるのはその職場だけなんだからいくらアドラー心理学で威勢のいいこと言われても、現実には僕が所属してるのはそのコミュニティしかない。 老子でも、宇宙とは道でつながっており、社会から追放されたとしても、大自然の中の一員であることには変わりはないと言うけど、別に大自然が給料くれるわけでもないし。「そういうことじゃない」って哲学者は言うかもしれないけど、現実問題としてはそういうことでしょう。 僕とにかく、にできる事はもうしらみつぶしにやることだけである。1から100まで順番にやっていくことしかない。ただその時にちゃんと記録しておかなければ、永遠に1を繰り返すことにもなってしまう。なかなか人生はいつまでたっても苦しいものなのだ。

Ikigai(生きがい)とKaroshi(過労死)

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日本の生きがいという言葉を用いた本が売れているらしい。 https://www.amazon.com/Ikigai-Japanese-Secret-Long-Happy/dp/B0759RLBHY/ref=sr_1_1_twi_audd_3?ie=UTF8&qid=1517215923&sr=8-1&keywords=ikigai 日本人は長時間労働なのになぜあんなに長生きなのか。それは生きがいがあるから。 ↑ は?と思えるイントロだけど、要は作者は以下のことを伝えたいらしい。 つまり、自分が好きで、得意で、世間が求めていて、お金がもらえるものが生きがいだと。 でもこれって結局僕が前に書いた、「自己欲求」と「承認欲求」ということなんじゃないかな。 https://amufaamo.blogspot.se/2018/01/blog-post_19.html 世間が求めることって結局お金はもらえるし、得意なことってどんなことでも長い時間やってると得意になるわけで、上記の図をもっと簡単にして「自分がやりたいこと」と「世間が求めていること」の二つで表せる気がする。 ちなみに、このIkigaiのスウェーデン版見たいな本もある。 https://www.amazon.com/Lagom-Little-Swedish-Living-Balanced/dp/B074NFYPWL/ref=pd_sim_129_1?_encoding=UTF8&pd_rd_i=B074NFYPWL&pd_rd_r=N5BABBCFA3Z1R3DS847J&pd_rd_w=bHle0&pd_rd_wg=VZDpF&psc=1&refRID=N5BABBCFA3Z1R3DS847J LAGOMって云うのは中庸ということで、熱すぎず冷たすぎずみたいな。 まぁそんなことはどうでもいいんだけど、僕がいいたいのは、物体は明るい方から見れば明るく見え、暗い方から見れば暗く見えるということ。 Karoshi(過労死)が英語として使われてるように、日本の長時間労働って結構海外でも有名。それを明るい方から見れば、「長時間労働でも生きていけるっていうのは幸せなんだ!」という主張になるんだろう。 ブータン

国境をなくせばみんながハッピーになるわけではない気がしてきた

国籍というのは強力な既得権で、できれば国籍なんてなくせばいいんじゃないかと思っていた。例えば、現在は日本人がスウェーデンで働くときは外部から取り入れないといけないような特殊能力があることが前提で、スウェーデン人がやれる仕事は日本人じゃなくてスウェーデンにやらせるという考え方。おそらく殆どの国はそうだと思う。 そうじゃなくて、国籍とか関係なく全人類平等にどこでも住め、どこでも働けるようにすればいいんじゃないかとずっと思ってた。国籍というのは自分で選べるわけでなく、途上国のほうが先進国よりチャンスが少ないのは明らかなので、頑張ろうとする人は先進国で、のんびりしたい人は途上国へ住めばみんなハッピーになれるんじゃないかと思っていた。 しかし、最近どうもそうなんじゃないかと感じている。国境というものが非常に薄いネットの世界を見ると、GoogleやAmazonやFacebookなど、超一部のサイトが巨大な権力を手にする。資本主義的な格差広がりがとんでもない勢いで起こる。 これと同様でもし国境がなくなれば、一部の優秀な人が富をすべて吸い取り、ほかの99.999%はタダの凡人になる。それって、あんまりハッピーな世界じゃないようなきがする。 例えば、世界一位なら、世界に1人しかいないけど、国で一位なら世界で200人ぐらいいるし、世界一位よりも簡単。地域一位ならもっと簡単。色んな壁でくくられている方が、ハッピーなんじゃないだろうか。 実際、今のところまだどっちが幸せなのかわからないけど、自分の主張が絶対的に正しくて、盲目的になるのが一番良くない。悪いことをしようとして悪いことをするやつより、いいことをしていると思いこんで悪いことをしているヤツのほうが遥かに悪質。いまはTwitterなどで共感できる人だけとつながって、批判する人をブロックできるからより盲目的になってしまう。テロリストだって自分を善人と思っている。

[DE→PL]寒波の中 その3:ベルリンの壁その2

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もうタイトルがわけわからんくなってきたけど、ベルリンの壁の続き。 ベルリン中央駅からイーストサイドギャラリーへは、地図上だと遠かったが、歩くと想像以上に遠かった。僕は年末に雪で滑って左足を思いっきり捻挫したのだが、そのせいで左足が痛みだした。日も暮れてきてただの壁を見るために、なぜ辛い思いをして歩いているのか自分でもよくわからなくなってくる。 途中にあったマルクス・エンゲルスの像。仏教の発祥がインドであるように、共産主義の発祥はドイツである。 未だ着かないかと地図を何回も見ながらあるき続け、ようやくイーストサイドギャラリーへ到着した。 イーストサイドギャラリーは、1km以上にも渡って壁が残されており、アーティストによるペイントがある。もう見たから戻ってもいいのだが、流石にここまで来たのだから、一番有名な「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」を見るために更に歩く。 日本に関する作品もある ベルリンの壁は薄い そしてついに到着。結構遠かった。この絵は、東ドイツの国家評議会議長であったエーリッヒ・ホーネッカと、ソ連最高指導者レオニード・ブレジネフがキスしている絵である。 東ドイツとソ連の関係は、1960年代のベルリンの壁が建設された時代から一層深くなり、東ドイツのホーネッカは、ソ連指導者であったブレジネフとの関係を深めていく。2人の熱いキスを描いた戯画は、東ドイツと旧ソ連の蜜月関係を象徴する1枚である、らしい。 壁を見たあとは、また街に戻る。左足を引きずりながらトボトボ歩いていると、街に戻るときにはもう完全に真っ暗になっていた。

100分de名著 ブッダ『真理のことば』

苦しみを消すにはどうしたらいいか。それは、「 世の中を客観的に見ること 」である。 苦しみは自分を中心とした主観的な世界から生まれる。手に入れられると思ったものが手に入れられなかったり、手に入れていたと思ったものが消えたりすることで苦しみが生まれる。 しかし、世の中は自分を中心として廻っているものではなく、また常に変化しているものである。自分自身ですら、自分の所有物ではなく自分の意志とは無関係に変化しているものである。 世の中を客観的に見るにはどうすればいいか。つまり、正しい因果関係を理解するにはどうしたらいいか。それは経験をすること(勉強をすることも含まれる)、精神を集中して物事を見ること。

[DE→PL]寒波の中 その3:ベルリンの壁

ベルリンで行きたいところはいくつかあるが、まずはベルリンの壁に向かう。日が暮れる前に見ておかないと真っ暗で何も見えなくなってしまうからだ。 ベルリンの壁は言わずもがなの冷戦の象徴。第二次世界大戦に敗れたドイツは、英・仏・米・ソ連の4カ国に分裂統治された。その直後、ソ連を中心とする社会主義国側とアメリカを中心とする自由主義国側で冷戦が始まる。それをきっかけにドイツもソ連が統治していた東側と、米・英・仏が統治していた西側で二つに引き裂かれることになる。ベルリンは、ドイツの東側にありソ連統治部分の中心近くにあるのだが、西ベルリンが自由主義国側を支持したため、東ベルリンが西ベルリンを囲うように壁を作ったのである。 日本もドイツと同様に第二次世界大戦に敗れた国である。しかし日本はソ連には統治されず、アメリカのみに統治されたおかげで、冷戦によって分断されることはなかった。もし日本がアメリカとソ連によって分割統治されていたら、ドイツあるいは朝鮮のように二つに分断されていたかもしれない。 ベルリンの壁を見ると行っても、ベルリンの街のいたるところにあるわけではない。少なくとも目につくほどちゃんと残されているわけではない。その中でも、イーストサイドギャラリーと呼ばれる場所は1km以上に渡って壁が残されており、壁自体がアードギャラリーとして展示されている。ということでまずはイーストサイドギャラリーへ向かう。 ===疲れたのでここまで===