長期的な承認に食らいつく #考える
最近色々雑務が増えてきた。しかし、僕としてはそれらは置いといて、もっと大きい仕事をするべきだと思っている。
大学の教員は、研究するのが仕事ではあるが、それ以外にもいろんな仕事がある。わかりやすいのは講義。90分話すというのはめちゃくちゃ大変で、それが週に一回あるとほぼそれで時間を取られる。テストの採点などもある。
それ以外にも、例えば遺伝子組み換えの申請のために、他の人の部屋を訪れてどうすればいいかなどをチェックする人もいる。学会やセミナーで会議場を予約したり、コーヒーを作ってくれる業者を探したり。挙げ句の果てには、試験の際の試験監督や、交通整理の仕事もある。
しかし、こういう仕事が嫌かというと、そういうわけでもない。こういう仕事も、大学にとっては大事な業務であるから、やる意義はある。さらに、やることもある程度決まっていて、結果がすぐ出る。これが研究と違うところで、研究は結果が出るかどうかわからないし、出たところでそれが評価されるかどうかわからない。されたとしても、自分が死んだ後かもしれない。
以前読んだ本で、「長期的な承認、短期的な承認」という言葉を使っている本があった。それがまさに研究か、雑務かということである。
雑務がダメだと言っているのではない。実際に世の中に必要とされているし、それを得意かつ好きにやっている人もいる。しかし、少なくとも僕はそういう方向にはいかないようにする。短期的な承認欲求は極力抑えて、長期的な承認を求める。