家族と自由はトレードオフなのか #考える

今年のゴールデンウィークはどこにも行く予定がない。これはかなり珍しいことだ。ちなみに過去のゴールデンウィークは以下のところに行っている。
2023年 天草
2022年 福岡
2021年 熊野古道
2020年 コロナの緊急事態によりどこにもいかず
2019年 ロシア
2018年 スウェーデン
2017年 スウェーデン

コロナから、そこまでちゃんと計画していないので近場が多くなっているが、いずれにしてもどこかに行っている。しかし今年は特にどこにも行く予定がない。その一番の理由が、子供が生まれたことである。まだ生後6ヶ月未満であり、更に今年はコロナ明けと円安もありどこにも行く予定がたてらなかった。

しかし、どこにもいかないことに対して、かなり不満を持つようになった。そして妻にはっきりと「どこにもいかないなら生きている意味がない」といった。
ゴールデンウィークに限らず、平日は仕事、休日は子守で自分の自由の時間がない。そういう生活は生きている意味がない、お金を稼ぐ意味がないと本気で思っている。

家族のために生きる、というのは生物学的にも正しい。ただ、やっぱり僕はその考えができない。各個人は別人格であり、子供も子供の人生があるように、僕も僕の人生がある。僕の親がいい意味で放任主義だったというのがあり、親がいなくても子は育つという考えが僕にはあると思う。

かと言って子育てをしないとは思わない。実際に育休は取ったし、保育園も半分は迎えに行っている。しかし、それで自分の人生を犠牲にはしたくない。

今のところ、僕の結論しては、行きたいところは行く。子供が連れていけるなら行く。一人旅は一年に一回はやる。完璧な父親ではないけど、自分にとって完璧な人間ではありたい。

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