大学教授の最終講義 #考える #学ぶ
今の時期は、定年退職される大学教授の最終講義がちょこちょこある。最終講義というのは、文字通り最後の講義。大学の教員は講義をしているイメージがあるけど、仕事の本丸は研究。普通の大学の講義は「無機化学」とかで、もっと一般的な話をするけど、最終講義は自分の研究の集大成を話すことがほとんどである。基本的に教授ならずっと研究者だったと思うので、30歳から65歳までであれば35年間の研究の集大成を1時間半程度で喋る。
仕事の集大成をプレゼンするというのは、大学の教員以外ではほとんどないのではないだろうか。定年退職で花束を贈呈されたり、パーティぐらいはあるかもしれないが、1時間半かけて自分のやったことを振り返るというのは大学の教員ぐらいだと思う。
この最終講義だが、大学の教員すべてが最終講義をするわけではない。資格があるのかどうかは知らないが、准教授などは最終講義をしない気がする。大学教員は、階級的に教授、准教授、助教という順で、准教授で終わる教員も結構いる。そのような人が最終講義をするのかどうかはよくわからない。
また、定年まで「ちゃんと」研究者であることも重要だと思う。研究というのは、①資金を調達でき、②共同研究者がいて、③業績(論文など)が出続けていることが必須である。この内一つでも欠けると総崩れになってしまう。しかしこれを維持するのはかなり大変で、業績がなくみんなから無視されている教員というのもいる。僕の知っている教員も、論文も出ず、獲得資金もなく、みんなから嫌われている人がいて、今年退職である。その教員が最終講義をやるとは思えない。 最終講義はある程度大規模なイベントだから、それなりに格好がつかないとなかなかやれない。
あと、必須条件ではないがその大学なり所属機関に長くいるというのも結構重要なポイントだと思う。30年以上、あるいは学生の頃からいる人であればそれなりにいろんなことに関わっていると思うし、大学の歴史の中で話ができるが、数年前に来た人だとあまり話すことがない。もちろん研究業績があれば別だけど。
研究業績も、30年ぐらいを一貫してまとめられるような研究というのはなかなかできない。流行りもあるし、社会が求めるものもあるし自分の興味もあるので、研究がコロコロ変わるということもよくある。そういう場合は、最終講義がアラカルト的になり面白くない。
長々と書いたが、今の僕は最終講義ができるような体制ではまったくない。上記のどれにも当てはまらない。しかし、一貫した研究がしたいし(同じ場所にはとどまりたくはない)、最終講義もできるようになりたいので、これから研究もを頑張りたい。