不要不急という言葉に傷つく
「不要不急」ということばが最近飛び交っている。もちろん新型コロナの影響である。僕の仕事も不要不急ということでテレワークになった。たしかに僕の仕事なんて不要不急だから事実なんだけど、ちょっと傷つくよね。
でも思えば、世の中の多くが不要不急なんじゃないかって思ってくる。逆に要・急な職業といえば数えるほどないんじゃないか。例えば食料を作る農業や、医療関係や公務員ぐらいだろうか。あとはインフラか。
生きているというのは、ただ単に心臓が動いていることだけではなく、他人に認知されて生きていると実感できるのだと思っている。生きると活きる、surviveとaliveの違いのようなもんだろうか。その点で、なくなっても必要のない仕事をしている僕はまだ活きていると実感できない気がする。今回のコロナ騒動でそれを感じた。
でも、やっぱり僕は無駄なことがしたい。ただ単に農業とかで人生を終わらせたくはない。僕は文化を気づいていきたいと思っている。無駄の集合が文化であれば、僕は無駄を無駄と受け入れて、必死にゴミを作っていけばいいんじゃないか。
でも思えば、世の中の多くが不要不急なんじゃないかって思ってくる。逆に要・急な職業といえば数えるほどないんじゃないか。例えば食料を作る農業や、医療関係や公務員ぐらいだろうか。あとはインフラか。
生きているというのは、ただ単に心臓が動いていることだけではなく、他人に認知されて生きていると実感できるのだと思っている。生きると活きる、surviveとaliveの違いのようなもんだろうか。その点で、なくなっても必要のない仕事をしている僕はまだ活きていると実感できない気がする。今回のコロナ騒動でそれを感じた。
でも、やっぱり僕は無駄なことがしたい。ただ単に農業とかで人生を終わらせたくはない。僕は文化を気づいていきたいと思っている。無駄の集合が文化であれば、僕は無駄を無駄と受け入れて、必死にゴミを作っていけばいいんじゃないか。