ノーベル平和賞
ノーベル賞は物理・化学・生理医学・文学・経済学・平和賞の6つの分野に分かれている。その中で平和賞だけ、ノルウェーのオスロで授賞式が行われ、平和賞以外は、スウェーデンの機関が選考して、ストックホルムで授賞式が行われる。
なぜ平和賞だけオスロで行われているのか。それはノーベルの遺言でそうなっているからである。ノーベルには計3つの遺言があり、ノーベル賞はノーベルの遺言に基づいて運営されている。ノーベルが遺言で平和賞について言及したのは、最後の3つ目の遺言である。1つ目と2つ目の遺言には平和賞に関して書かれていないのに、なぜ3つ目の遺言でノーベルが平和賞に言及するようになったのかは不明だが、最も流布している噂は以下の通りである。
ノーベルは、秘書の募集の広告を出し、それに応募したのがベルタという女性であった。その女性に一目惚れしたノーベルだが、ノーベルが出張中に駆け落ちして恋が実らなかったそうだ。そのベルタという女性は平和活動家であり、彼女自身第5回のノーベル平和賞を受賞している。
この噂が最もインパクトがあるために広まっているのは確かだが、もともとノーベルは平和に対して強い関心があったのは間違いない。ノーベルは、「戦争は恐怖中の恐怖」と言及している。まだ、ダイナマイトの発明で巨額の富を得たノーベルだが、べネタに向かって「あなたが作った平和会議よりも私のダイナマイト工場のほうがよっぽど早く戦争を終わらせられるかもしれない」とも言っている。この考えは現在の核の抑止力とよく似た考えである。
ノーベル平和賞がノルウェー議会で選考される理由だが、これもまたはっきりしたことは記録として残ってはない。しかし、ノーベル平和賞が創設されたときのスカンジナビア情勢を理解することである程度予想することができる。ノルウェーはそのときはまだスウェーデン=ノルウェーという連合王国で、国王はスウェーデン国王である。ノーベルが遺言を書いていた時期にはスウェーデンとノルウェーは一触即発な状態であり、スウェーデンは、ノルウェーの独立を、武力をもってしても阻止しようとしていた。一方のノルウェーはあくまで国際調停による平和的解決を求めており、この平和に対する姿勢から、平和賞の受賞者はノルウェーで選考されるようになったという話である。
ノーベル平和賞の受賞の条件は以下の通りである。
「国家間の友愛、常備軍の廃止または削減、平和会議の開催や促進のために、最大または最善の仕事をした人物に」
「ノルウェー議会の選出する五人委員会が、平和のチャンピオンとして与えられること」
「候補者の国籍は全く考慮することなし。受賞に最適な人物であれば良く、スカンジナビア人か否かは関係ない」
明白な定義だが、物理学賞など科学の賞に比べて平和賞は政治的な要素が強く、しばしば物議を醸すことがある。例えばアメリカのオバマ元大統領は2009年にノーベル平和賞を受賞した。その内容は、プラハで核廃絶の演説をした功績からであるが、このときオバマはまだ大統領に就任して一年も経っておらず、しかも何もしていないとして現在も批判の的になっている。