セクハラ問題

友人(女)と話をしていた。その友人は、レストランで働いていて、今の職場をやめたいそうだ。そのことをオーナーに話すと、人のいない裏に連れて行かれ、いきなり手を握られ、「今まで黙っていたけど、君のことが好きだ。」と言われたらしい。

友人はオーナーのことをとても嫌っており、もうその件があったときから、オーナーの車を見ただけでもゾッとするようになったらしい。でもオーナーと店員という立場で、オーナーに話しかけられたら断ることも出来ないと悩んでいた。

絵に描いたようなセクハラ・パワハラ問題である。僕はその友人から以前からいかにオーナーが気持ち悪いかのプレゼンを幾度となく聞いていたし、そもそもオーナーとは友人ではないので僕は100%友人側につく。

しかし、これが気持ち悪いオーナーだったからセクハラになるわけだけど、もし超イケメンだったらかなりロマンチックな展開じゃないか。

セクハラやパワハラに限らず、第三者が罰を与える時、客観的な判断が求められる。セクハラの場合、女性が嫌がるかどうかというのが材料になるので、客観的な判断ができないのではないか。同じような行動したとしてもイケメンは裁かれず不細工は裁かれるとなると、弱者はより弱者になってしまうのではないかと思ってしまう。




セクハラやパワハラ問題だけでなく、差別を批判するものが一番差別主義者である、リベラリストが最も頭が固いというようなことが多々あると思う。そのような人は、善であると思い込んでいる上で、開くだと思っている悪人よりもタチが悪い。