他人の目を気にしなければ何をしたいか

僕が所属していた研究室から、OBたちの近況報告をまとめた返信集というのものが送られてきた。

その研究室のボス教授の息子もその研究室の卒業生で、僕の先輩である。その息子は「親父を超えるには同分野に進むしかない」と発言しており、アメリカで研究していた。いわば研究分野のサラブレッドである。

その息子の近況報告を見ると、研究はやめており、今は田舎で研究とは違う活動をしているらしい。ホームページのリンクがあり、それを見ると、同僚に「研究が面白くなさそうだね」と言われたのがきっかけだそうだ。

僕も何回もこのブログで書いているけど、本当に僕は研究が好きなのかいまいちわからない。今やっている研究が楽しくないのは事実だけど、だからと言って他の研究が楽しいのかどうかは疑問である。ただし、博士号まで取って研究分野から離れるのはどうもドロップアウトするような気分になる。しかし、親が教授で自身も早くから研究を志していた先輩でも、進路を変えることがあるんだということを知った。

以前書いたラッセル幸福論のまとめの中で、不幸の原因の一つは過度に他人の目を気にすることだとまとめた。確かに僕は、研究から離れること自体ではなく、そのことを人に見られるのを恐れているような気がする。

もちろん、働くというのは自分一人ではできないし、お金も動くのでいろいろな制約はある。しかし、もし、誰が何というかなんて全く気にしなければ、いったい僕は何をしたいのだろう。もうしばらく考えてみよう。