アリorキリギリス問題

あるラジオを聞いて、「キリギリスが悪者というの考え方は違うんじゃないか」みたいな話を聞いて納得した。

アリとキリギリスはイソップ童話の中でもダントツに知名度がある。今を楽しむキリギリスと、未来のために今苦労するアリ。そしてアリのほうが絶対に偉いという道徳。もちろん、あの話はかけっこでゴールする話なので、アリのほうが正しい。しかし、キリギリスを「今を楽しむもの」、アリを「未来のために今苦労するもの」と考えれば、どちらが正しいのだろう。

もちろん、未来を顧みず、どか食いしたりお金を浪費するのはよくないというのは分かる。でも、例えば貧乏画家がお金を費やして絵の具を買うのではなく、未来のために貯金するのは正しいのだろうか。「未来のために生きる」のではなく「今を全力で生きる」べきなのではないだろうか。「それ、今しかできないよね?」と言われた時に、納得して諦めるか、「今しかできないからやってるんだよ」と言い返すのはどちらが正しいんだろう。

人間以外の生物はどうなんだろう。バクテリアの場合、栄養があればあるだけ吸収して分裂する。それはバクテリアに脳が無いからかもしれない。でも、例えばリスは、未来のために食料をためたりするのだろうか。満腹の場合は取っておく事はあるかもしれないけど、少し空腹状態でも、未来のために食料をとっておくことはあるのだろうか。
南極に取り残された犬が、食べ物を与えた時に次の日のために保存しておくという話があったが、果たして他の動物も未来のために今を犠牲にすることはあるのだろうか。そして、それは正しい生き方なのだろうか。

基本的に、快楽というのは生物にとっていい行いで、苦痛は悪い行いであるように進化しているのだから、今楽しいこと、やりたいことを続けていけば幸せになると思うのだけど、今苦痛を選択するというのが正しいと思われているのはなぜなんだろう。

答えは出てないけど、僕の生き方におおきな影響を与えそうなので、この答えが出ればいいな。